2022-05-01から1ヶ月間の記事一覧
いま改めて、盆栽とは何か。盆栽という趣味を通して見えてくるものとは何か。そんな話題をエッセイ風に。
教室に通ってくる子供たちの姿を日々定点観測しております。山あり谷あり、笑いあり、そうして成長していく彼らの姿をぜひご覧ください。
どうやったら、ウチの子に作文を書かせられるかしら…そんなお悩みをお持ちのお父さん、お母さんへ。
お手紙に書いたでしょう? ということを質問されるのは、教育現場のあるあるなのでしょうか。 こんな風なメールが来ると、妻はきまって電話で返答するので、ある日そのわけを尋ねたところ、「だって、メールで返しても伝わらないから」とのこと。 なるほど、…
つい先週の同好会で、一緒に盆栽をいじっていた仲間が急逝しました。 私と半世紀分年の離れた友達。大先輩でありながら、同じ趣味を語り合えるかけがえのない友人でありました。 青々と繁った樹が、一夜のうちに立ち枯れるかのように。遺された盆栽たちは、…
公文の算数・数学がどんなものであるか、こればっかりは、一度やってみた人でないと分かるものではありません。 裏を返せば、一度やってみれば分かる。良い意味でそのヤバさが分かるかと思います。 キーワードは「バグる」。 誤解をおそれずに言えば、公文の…
不思議な事件が続いた。 教室のトイレから次々と備品がなくなるのである。 私も妻も教室を回すことに忙殺されているものだから、トイレは子供たちの性善説を信じてノーマークのまま、特段何事もなく平穏無事を保ってきたのに、こんなことになるとやりたくも…
部活動を完全に外部化して、学校教育から切り離すべし! いま教育現場が求めているのは、小手先の働き方改革ではなくて、こびり付いた悪弊を見直す構造的な改革なのです。 毎日六時間目まで、ほぼフルコマの授業を終え、一息つく間もなくブカツがはじまる。…
孤高のぼっちプレーヤーを選ぶか、にぎやかなサークルを選ぶか。それはあらゆる趣味において提示される選択肢であるかもしれません。 せっかくの趣味なのだから、誰に気兼ねするともなく、自由に気ままに愉しむというのもアリ。同好の士という最良の話し相手…
昭和十年生まれ、私のおばあさんは坂の上からランドセルを投げられました。 周りがみんな風呂敷包みを提げている中で、一人だけ革製のランドセルを背負っていたわけですから、まぁ、それも仕方がない話で。 時代は下って現在、ランドセルを背負っていない子…
今日もうさ子が逃走を目論んでいる。 スキあらば幼児席を飛び出して、大人の尻と尻のあいだをかい潜って、自由への逃走がはじまる。 まぁ、彼女にとっては教室へ来ることも、座ってお勉強することも遊びの延長なのだから仕方がない。最近は心なしか目鼻立ち…
作文は「マネ」をすることで上手くなります。 いや、「マネ」をしないことには、上手くなるわけがないのです。 好きな絵本の語り口、どこかで聞いた言い回し、気に入った文章、これらはどんな教科書よりも雄弁に作文のいろはを教えてくれます。 以前お話しし…
「うちの子が早く次のステップに行きたいと言っていて、」 さて、この後に続く言葉を想像してみてください。 なるほど、これはポジティブにもネガティブにも、どちらにでも転びうるフレーズであります。公文の教室をしていると、年に数回はこの手の相談が寄…
私、防衛大学校を受験したことがあるのです。 と言うと知人たちには「え? マジすか?」という反応をされます。彼らから霞を食って生きていると称される私なれば、それはまぁ当たり前なのですが、もそっと正確に述べるならば、私は防衛大学校を団体受験した…
あすこをてろてろ歩いているのが、主人公の彼である。ランドセルの肩掛けが外れていて、上着が片肌脱ぎで、シャツがズボンからはみ出しているのが彼である。 いつも一人で歩いている。よく見るとちゃんとまっすぐ歩けていない。頼むから前を見て歩いてくれろ…
ドラえもんのスモールライトを使って、そこらへんに生えている樹をみるみる小さくして鉢に植えたとしたら、果たしてそれは完成された盆栽になるでしょうか。 確かに、盆栽は自然を模倣して作る芸術作品です。だったら自然の樹をそのまま模倣すれば、完璧なん…
教室の顔は、何と言っても指導者でありますが、教室の雰囲気をつくるのは、やはりあの採点スタッフなのではないか、と私は思うのです。 あしかけ三十年、生徒として通っていた時代から今に至るまで、実に様々な採点のおばちゃんや、お姉さんに出会ってきまし…
小さいうちからウチの教室に通い、せっせと研鑽を積んで、毎日決まった分量の宿題をコンスタントにこなしていた子が、中学校へ入学したのを境に明らかな変調を来してくる。 今まで毎日欠かすことのなかった宿題の量が目減りするくらいならまだしも、ひどい時…
心躍らぬオリンピックが二ッばかし、コロナのごたごたに紛れて過ぎ去ったような気がしたけれど、平和の祭典はザキザキした心持ちより外の何かをもたらしたのだろうか。 今さらではあるけれど、私はいまなお「なんだかなぁ」の気持ちで居るのである。 この辺…
この間なぞは、また一つ驚かされた。やってきた彼の頭にデカい耳当てのようなものがついている。無意識に二度見してしまった私は、それが結構本格的なヘッドホンであることを発見して、いよいよどこからツッコんで良いのか分からない。 ちびっ子たちが、ピー…
「子供と相談して来ます」はだいたい「やりません」という意味である。二度も三度も体験学習をしておいて、今回もまた「まだこの子には早いので」という感じでフラれると流石に萎える。 まあ、それは体の良い断り文句なのだろうが、これをホントに相談してい…
過去のある一瞬に数秒間だけ戻れるようなミラクルがあったら、みなさんはかつての自分に何と語りかけるでしょうか? それが大学時代だったら、私は酔っ払って教育実習の大事な日誌を紛失する前の私に「自転車で帰るのは止せ!」と言うでしょう。では、それが…
私は国語教育における「作文」の異質さを、その徹底したアウトプットの営みに見ています。そして表現するというところで見るならば「作文」は紛れもなく「図工・美術」と同じ領域を共有している、というのはちょっと言い過ぎでしょうか。 でも、白い原稿用紙…
国語という教科において、「作文」は限りなく異質なものだと私は思うのです。 普段の国語の授業といえば、テキストを読んで登場人物の心境の変化を追ったり、作者の論理展開を整理したりという作業を通して、文章を正確に読解する術を学びます。この点で読解…
英語学習における鬼門として、先に挙げたのが語彙力不足の問題でした。それにつづいて第二の問題となるのが、文法に対する認識の甘さです。 私は元々公文式で英語のいろはを学びましたが、昔の公文の英語は徹底した文法主義を打ち出していました。おかげさま…
私のところへ来はじめたばかりの門下生から「先生、英語で点が取れません」という相談を受けることがあります。私はテストの点を上げるための勉強というのが好かないので、何が分からなかったのかと尋ねます。 すると彼らはきまって「うーん」と考え込んでか…
うさ子はずんずこ進んでくる。教室の人混みも障害物もお構いなしに突破してきて、お目当ての教具を確保したらまた一直線に席へ戻ってくる。 拙宅の居間にある、なにかもの言いたげなウサギのぬいぐるみが、ひとりして歩いたり喋ったらこんな感じなのだろうな…
自分の受験でもないのに、子供に向かって自分も頑張っているのだから、あなたももっと頑張れというのはとんだお門違い。子供という存在が精一杯勉強していることを認め、その上で余計な口出しをせず「見守る」ことに徹しようとするお母さんの姿勢には唯々頭…
教育について何をか語ろうとする際には、やはりどちらかと言えば、教員の問題であるとか、教育行政の非合理性をこき下ろしたり、ディスったりする方が仕事もラクである。だがこの間、妻に「ディスってばかりいないで、少しは褒めることをしたらよろしい」と…
二時半に教室を開けて間もなくやってくる、幼児の団体様ご一行を帰すと、つかの間の静寂が訪れる。換気のために窓を開け放って、うららかな午後の表通りを眺めていると、さっき帰したはずのKちゃんとそのお母さんが、路上に停車したワゴン車のところで何や…