2022-07-01から1ヶ月間の記事一覧
「先生、ボクきのうね、みんなでバーベキューしたよ!」「おととい家族とプールに行った!」 問わず語りに話してくれる子供達の報告を聞く度、複雑な思いにかられている自分があります。 「そいつはよかったな! で、何を食べた?」とか「いいなぁ、プールで…
コロナの暴風が吹き荒れる中、今年も何とか「夏の作文教室」が始まりました。 去年に引き続いての参加という子もあれば、ただならぬ意気込みでやってきた期待の新人もあり、さてこの子はどんな作文を書くのかしらと、やっているこっちの方がむしろ楽しみに思…
本で読みかじって知った気になっているだけ。それを自分の言葉に落とし込むことも出来なければ、そこから自分の考えを新たに出発させることもできない。それは血が通っていない「借り物」の思想であります。 そんな「人のフンドシで相撲を取る」人物のタチの…
この間の読書の話で、ちょうど「消化」についてふれたので、忘れないうちに補足をしておくことにします。 本、あるいは大学の授業で皆さんは「理論」や「思想」というものを学び、必要に応じてそれを吸収することでしょう。 精神分析、民俗学、テクスト論、…
今よりもまだ頭数に余裕があった当時、展示会の当直は二人一組。 これが一人だと結構ツラいもので、このご時世だと検温と連絡先の記入をしながら、「この樹って、何ていうの?」とか、お客さんの質問にも応えなければいけません。 いつものこぢんまりした展…
さつきの咲き誇る季節。朝霧に包まれた図書館の駐車場に、会長さんの車がそろりと入ってくる。 まだ作戦開始時刻まで四時間もあるけれど、段取りを重んじる会長さんの作戦行動は既に始まっていて、車から降り立った会長さんは、颯爽と歩いてお家に帰る。 会…
まだ教室も開いていないというのに、急いでひやむぎをかき込んで庭先の自転車に飛び乗る午後一時過ぎ。 教室では先生が縁側の戸を開け放って、ガンガン掃除機をかけている真っ最中で、私が汗ぶったらしながら誇らかに一番乗りの「こんにちは」をするのを「あ…
カレンダー少年は、今よりもっともっと幼少のみぎり、カレンダーによって数を知り、そこにある一定の規則性があることを発見したと言われている。 別に、これは誰かノーベル賞を取った人間の伝記でもなんでもないけれど、私の前に腰掛けたこの少年の数的感覚…
言葉とは、自ら必要に駆られて使うようにならなくては、自由闊達に使いこなすことが出来ません。そして、この言葉がままならなくては、頭の中で自分でものを考えることも難しくなります。 ですから、「よく喋る親」の子供は、親によってよく喋ってもらってい…
まず申し上げなければならないのは「子供は親とは別個の人格である」ということであります。 子供が自分の分身であり、それが自分の成しえなかった事を代わりにやってくれる、という幻想を捨てきれぬ親ほどタチの悪いものはありません。 子供にとってはイイ…
その鉢は、ある男の手によって完成間もない大崎市図書館に持ち込まれたのでありました。 山採りの、まさに山味あふれる赤松。その持ち主は久し振りに登場した沼倉さん。イベント大好き人間である沼倉さんが、わが同好会にやってくるのは例の山形旅行とか、そ…
こう暑くなってくると、どこかの山へでも逃げたくなります。でも岩手山だけは、カンベン願いたく。 と申しますのも、夏と言えば進学コース恒例の「勉強合宿in岩手山」の季節であり、あれから十数年あまりが経過しているというのに、いまなお私は「なんてこっ…
前回申したように「比喩」とは、ある対象を表現する際に、余所からイメージを引っ張ってくる手法です。 それはあたかも化学変化のように、普段同居したことのない言葉と言葉が出会って、予想外の効果を生むことだってあるのです。一流の詩人は一流のスナイパ…
「かぼちゃに手裏剣を打ったような」出で立ちのお武家さま、「忍術使うような」目をして化粧をはじめる女将さん。 落語はまさに比喩の宝庫です。どこから何が飛び出すか分からない、そんな、アッと驚く言葉に魅了されたり、腹を抱えて笑ったり。どこかの誰か…
気がつけば、私が入った頃とはおよそ顔ぶれが変わってしまいました。 そのせいで、ヒラ会員として気楽に過ごしていた私も、いつの間にか「理事」とか「監査」とか物騒な肩書きが付くようになりましたが、これも名簿というエスカレーターの為せるわざ。会員歴…
新年度がはじまった教室は、二三人の顔ぶれが変わったばかりで、およそこれといった新鮮味がありません。 しかし、教室のゴミ箱はいつになく満杯であふれかえっている。入ってきた担任が、それを見て愕然とする。 「なんで教科書捨てたの?」と尋ねるから、…
開口一番、天を指さして「落ちてきたの」と言うから、何か神がかったことか、ラピュタ的なことかと当惑せざるを得ない。 まだ空は下しっぱなしの腹みたいに、どこかでごろごろ鳴っているけれど、窓の外にはようやく安らいだ夏の夕暮れが来ている。 北斎が描…
別に読む気がなくても、授業がフルコマで忙しい日でも、ポケットに無理矢理ねじ込めとは言いませんから、カバンの片隅に一冊の本を忍ばせておいてほしいものです。 とにかく学生時代というものは、読書を通して自分の考えや思考力を磨くことが肝要です。本を…
今日の学習を終えた子供が、湯上がりみたいな顔をして窓辺に立ち尽くしています。というか、寧ろ窓辺に張り付かんばかりにして、一心に戸外を見つめる姿を目にすると、さっきまでのナマイキボーイもたちまち健気に見えてくるから不思議なものです。 大事な子…
さて、間違いというものが決して無意味ではない、と知っている皆さんは、よほどのことがない限り自分の計算式を含めた解答を「リセット」しにかかるということはないでしょう。 「なぜ間違えたのか?」「どこでやらかしてしまっているのか?」という問いを立…
前回のゲームの話のついでにもう一点、私が「似姿」とまで称した、勉強とゲームの違いを強いて挙げるとするならば、それは一体何でしょうか。 ずばり、それは「リセット」してよいか、否かという点なのです。そう、ゲームは「あっ、シクッた。」となったら、…
一個の人命が暴力的に奪われたことに対しては、同じ人間として心から哀悼の意を表さねばなりません。 しかし、そのことによって、被害に遭った人間がしてきたことが全てチャラになるわけではありません。ここの所をしっかり分けて考えられるか、そうでないか…
鍋越峠を越えてくる「例のブツ」を、遅い桜の咲く公民館の駐車場に待っていると、そこへ見慣れぬ軽トラが入ってくる。誰のだろう? と見ていると、梅田さんが不敵な笑みを浮かべて降りてきたではありませんか。 こうなるとマジで業者感が半端ない。今日とい…
最早「借りてきた猫」とか言ってられなくなってしまった。 かつて漢検の受付で、やおら「ばあば」の話をはじめたり、話しかけるオトナたちの首を傾げさせ続けた挙げ句「ちょっと何いってるかワカンナイ」と言われ続けた彼が、この間の英検を期に、突如として…
大阪の教育行政は、このところ如何ともしがたい下降気流に見舞われて、学校の先生方におかれましては、まことに気の毒なことです。 そんな公教育とは別のところで、大阪といえば公文式発祥の地であります。大阪における公文のシェアは、もちろんこの東北に比…
四年、六年と私のもとに通ってくれて、今日がその最後になる日だと言うのに、私は決まって上手い言葉をかけてやれません。 ホントは伝えたいことが、山ほどあるのだけれど。微積の問題を解説しながら、全く別の話をしたくて堪らなくなるのだけれど。いざとい…
我らの強い味方、「盆栽のたけだ」へ行けなくなる日が来ようとは、いやはや夢にも思いませんでした。 コロナが我々の大事な補給線をいとも簡単に寸断したおかげで、同好会の誰もかれもが深刻な植え替え危機に陥ったのです。 最初の一年は何とかストックして…
弟や妹が教室へ通い出すようになると、この間までへろへろしていたお兄ちゃんやお姉ちゃんが、妙にシャッキリし出すから面白い。 「ほら、ここで手を洗うんだぞ。」「それからここに名前と体温を書いて。」「ああ、もう、おれが書いとくから!」 なんて世話…
喩うるならばお相撲の番付。わが軍隊学校は、まさに番付社会でありました。 成績によって、上中下と三つにクラスが分かれていて、クラスのレベルによって授業の内容も全く違いました。 また、それぞれ抱えている小テストや課題も異なるため、休み時間に別な…
山形へ行くなら、ぜひとも「盆栽のたけだ」さんへお寄り遊ばせ。 私の父方のおばあさんがそうだったけれど、山形人は優しくて親切、そんな言い伝えが、やっぱりマジなのだと納得できるのが、この「たけだ」のおじさんとおばさんなのです。 あの沼倉さんがハ…