2023-02-01から1ヶ月間の記事一覧
自分の父と母に、妻が破水した旨を伝えるや、やにわに事が大きくなった。 破水した妻を私の軽トラックで病院に連れて行くというのは、いくら何でも乱暴すぎるというので、父がワゴン車を出すことになる。腰に巻いていくためのバスタオルを母が用意して、私は…
その日は雨の音で目が覚めた。 あんまりしばらくぶりの雨だったので、最初私はそれが何の音であるのか分からなかった。樹々の眠り芽をそっとふるわせるかのように、薄曇りの空から降りてきた雨は、ようやくやってきた遅い春の先触れにも思われた。 雨の後に…
思えば彼女は、腹に子供がいたのだっけ。 次から次へとやってくる子供たちと、あれやこれやの応酬を繰り広げていると、こちらも自分の持てる能力の限界にチャレンジして立ち回らねばなりません。子供の鉛筆の先や表情の機微、学習の進行具合や採点状況諸々に…
年二回のお彼岸が近くなってくると、真っ直ぐさしこんだ夕陽が教室のずっと奥まで、くまなく照らしだすようになります。 とりあえずカーテンを閉めろという話ですが、リンゴみたいに染められた子供達の顔は、どれも真剣そのもの。夕陽何するものぞの塩梅で、…
ようやく春めいた青空に、玩具みたいな洗濯物が翻る。はて、こんなものを着る人間があるのだろうか。一枚、そしてまた一枚、水通しした産着を不思議な気持ちで干していく。 しかしまぁ、よくもこんなに買ったものである。これを着る本人は、まだここに到着し…
○他者のまなざし 文章を「ブログ」という媒体に掲載する以上は、誰かに読んでもらって恥ずかしくないものを拵えなければならない。私にとってインターネット上というものは公共の空間であって、そこで全裸に近いようなあられもない言の葉を発表することは、…
○ポメラ登場 元来面倒くさがりであるくせに、「一日一本」の強迫に苛まれつつ原稿をあげ続けるにあたって、一々ノートパソコンにコードを差し込み電源を入れ、パスワードを打ち込み、ややしばらく待ってインターネットのタブを開いて自分のブログへ入って・・・…
自主ゼミというものに誘われて入ったのは、二年生の春でした。恥ずかしながら、それまでごく限られた数名の友人としか付き合いをしなかった私の人間関係が、にわかに賑やかになってきたのはこの辺りからでありました。 教育学部と名の付くところに属しつつ、…
えらくベタで、自分だったらまずこんな見出しの話は読まない。そんな題を敢えて選んだのは、他でもない諸君に言っておきたいことがあるからなのです。 「自分とは何か」。私には未だによく分かりません。これが本題の答えであって、それ以上でも以下でもない…
○毎日一本 仕方が無いので、毎日パソコンを引っ張り出しては、一本一本と記事をあげるようになった。そうしている度に「おっ、やってるナ」という感じで妻がそんな私を褒める。これでは自主的に宿題をやっている子供を、母親が褒める構図と何ら変わるところ…
○処女航海 そろそろ一年になる。私にとって、こうしたことの始まりは、きまって誰かに尻を圧される形になるわけであるが、ドンと圧されて転びだした拍子に止まり時が分からなくなって、結局の所今度は誰かに停止命令を出されるまで転がり続けるものであるら…
つい先日、こんなことを耳にした。 赤ん坊というものは案外耳が発達していて、外界の音をよく聞いているというのは以前から知っていたのだが、視覚もまたある程度あって、腹の中でぼやぼやとしたものを見ているというのである。 なるほど生まれたばかりの赤…
○個体差について 盆栽愛好家に好まれる樹種に「五葉松」というのがあります。黒松や赤松などのおなじみの針葉とはひと味違って、一芽につき約五枚の新葉が愛らしく、産地によっては葉の形や見かけがまるで異なるのが、愛好家を「ヌマ」へと誘い込む心憎いポ…
○性根を見据えて 樹と子供の「個性」とは、その数だけ存在するといっても過言ではありません。しかしながら、「個性」とは時間の経過とともに自ずから顕現するものではなく、それを見いだし、磨くという行程を経ないことには、結局の所、宝の持ち腐れに終わ…
江戸の昔に「お直しだよ」と言ったら、それは「チェンジ」の謂いであったけれど、当代の公文でそう声がかかれば、子供達が採点する先生のところへ日参いたします。 あんまり何度も、のべつ通うようでは「あの若旦那、相当のぼせているようだから、ちょっと行…
○見どころはどこ? 盆栽愛好家がためつすがめつ盆樹を「観察」するのは、一つに日々のケアという側面もありますが、そこには「その樹の見どころ」を見いだすという重要なポイントがあるのです。 全ての樹が教科書通りに仕上がるわけはありません。人も樹もあ…
○観察よりはじめよ 「自分の思った通りにならなかったから、この子供の教育は失敗した。」という嘆きの後に、一切の手立てが中絶されるように、「自分の思い通りにならなかった樹」もまた、棚場の隅で同じ姿のまま水だけやって放置されるというのが、盆栽あ…
○樹との出会い 「この樹をどうしようと思って買ったの?」と問われてへどもどしてしまうようでは、自分の棚場に「どうしようもない樹」ばかりが増えていく一方。愛好家の直観という名の衝動買いは、時に私もまた抗うことのできない魔力を秘めているものです…
消防車がやってきた。消防車から消防隊員が降りてきて「こんにちわー。」、なんと教室の中まで入ってきた。 日頃からお客さんには慣れっこになっている彼らであるが、今回ばかりは中々どうして刺激が強いのではないかしらん。 まず反応を示したのが、後列の…
三、分かっているのに間違える 私が思うに、もっともタチの悪い「間違い」がこの「分かってたのに間違えちゃった」というものです。巷ではこうした類いの「間違い」を指して「ケアレスミス」と呼ぶことが多いわけですが、正直なところ「ケアレス」に対するケ…
二、無軌道な間違い 「どうして間違ったのか」が一目瞭然である間違いの対極にあるのが、この「無軌道な間違い」であります。つまりは「どうして間違ったのか」学習者も指導者も分からない、計算や論述の過程からその思考回路が一向に見えてこない間違いがこ…
学習者はその学習過程において、まず以て必ず「間違い」ます。一度も転ばずに自転車に乗れるようになるのが珍しいように、未習熟な学習者が学びの道中においてコケることは、当たり前のことなのです。 そんな学習者に対して「間違えるな!」と教える輩はとり…
そしてこれはこぼれ話。 佐々木さんに例のレジュメをいただいた席上、嬉しくって早速紙面に目を走らせていたところ、佐々木さんが小走りで駆け寄って来られる。 「宮川さん、それはどうか家で読んでくださいよぉ」と謙遜しておられるから、いやいやこれは本…
年明けの盆栽同好会で、思いもよらぬ物をもらいました。 挿し木をしたポット苗や、「ちょっと棚の整理に協力されたし!」と譲りうける鉢の類いではありません。実にそれはプリントアウトされた文章であり、制作者は昨年同好会に入会された佐々木さんでありま…
「大寒(おおさむ)小寒(こさむ)、山から小僧が飛んでくる」。そんなフレーズがつい口をついて出てしまう大寒波が襲来し、テレビでは外へ出るなと言うから家に籠もっていようと思っても、暖房なり何なりで電気と灯油を使わなくてはならない・・・なんとも、厳しい…
ふとした拍子に子供達の知られざる人間関係を垣間見ることがある。 教室ではわきめもふらずに学習に打ち込んで、自分の課題が終わるが早いか颯爽と帰宅して行く子供達。そんなものだから、同級生を二人同じ机に並べても、まさに勤勉なサラリーマンのように自…
やって来た店員に尋ねると、これは「型落ち品」とのこと。 つまりは最新モデルが出たことによって、商戦における第一線から退役を余儀なくされた商品であり、驚くべきことに機能的な面では最新モデルとおよそ変わるところがない、と言うのである。何ならこち…
危うく最新式のチャイルドシートの購入に踏み切るところだった。 「我が子のため」というスローガンは、私をしてあらゆる快適さをどこまでも追求せしめるかに思われた。そしてこの野放図な「追求」そのものが、商品の絶えざるアップグレードと価値(差異)創出…