かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

教育

塾生心得 国語力とは何か Ⅱ

●英語学習は後からで十分 昨今の風潮では、随分小さいうちから英語の学習をさせるようですが、私から言わせればそんなことは「後からで十分」なのであります。なぜならそこには国語の土台もなければ、習い覚えた英語に対応する言葉が不在であるからです。考…

塾生心得 国語力とは何か Ⅰ

●文系ですが何か? 私はバリバリの文系でありますが、気がつけば塾生に微積分を教えたり、漸化式をレクチャーしたりしていることもしばしば。そんな事だから、私はぜひとも国語の講義をしたりテクストの〈読み〉についての意見を交わしたいのに、人々が数学…

塾生心得 「五月のおたより」

風薫る季節がやってきました。まだ手垢の付いていないノートと、角が丸まっていない教科書をおニューのカバンに詰め込んで、そこはかとない緊張感と一緒に通学した四月も過ぎ、ちょっとは「好い塩梅」に落ち着けるゆとりも出来てくるのが、五月という季節で…

教育雑記帳(56) 親のマネジメント力 Ⅲ

教室にやってくる度、毎回のように暴れたりぐずったりしながらという子供も一定数あります。 もしかすると、そんな親達は「連れてくればよい」という認識のもと、子供の「動機づけ」についても思いを致すことがないのやも知れません。下の下はやはり「物で釣…

教育雑記帳(55) 親のマネジメント力 Ⅱ

子供が独力で「勉強モード」であったり「教室に行くモード」に切り替わるれるか、と言ったら決してそうではありません。流石にものが分かってきた年頃の子たちであれば、こなすべきタスクに応じて自分でさっさと切り替えを行うわけで、日々異なる習い事を三…

教育雑記帳(54) 親のマネジメント力 Ⅰ

教室にやって来る子には二通りあります。 一つは「いつも一定の調子でやってくる子」、そしていま一つは「その日その日で調子が変動する子」に大別されるかと思います。 子供なのだから日ごとに何かしら調子の変動があるのは当たり前だ、と思われる方もある…

教育雑記帳(53) ベンキョウとブカツ Ⅲ

勉強を通して「わかる」こととは、山を描くことに似ています。 ある山の山容を描けと言われた人は、おそらく頂上の形からその稜線の様子、裾野の広がりに加えて、それに連なる山系や重なり合って襞を為す隣の山裾の様子まで正確に記憶して「ある山」の全体像…

教育雑記帳(52) ベンキョウとブカツ

皆が学者レベルにならねばならない、というわけではないのです。社会生活の中で、他者との関わりの中で最低限、論理的にものを考え、自分の行動を決定したり、適切な言葉を使ってコミュニケーションを行えるようになることこそが、学校教育もとい国民皆学の…

教育雑記帳(51) ベンキョウとブカツ Ⅰ

春休みのグラウンドで、若人がパカスカとボールを打ち、何やら特殊なかけ声を発しながらランニングに勤しんでいます。なるほど春休みは、こうしたブカツに励む人々にとって、冬の間ままならなかったトレーニングの遅れを取り戻す絶好の機会なのでありましょ…

教育雑記帳(50) 住所は書けますか?

これは結構見落としがちなところなのかも知れません。 検定試験にやってきた子供達、試験のはじまる前に解答用紙を引っ張り出させて、自分の名前等の必要事項を書かせていると、必ず鉛筆が止まる子があります。 明らかにその目がヘルプと言っているので行っ…

塾生心得 「四月のお便り」

ようやく見頃を迎えた梅の花の隣で、桜のつぼみにも薄いピンクがさしてきたようです。寒い季節を耐え忍んで、どこからそんな色を出してくるのか、毎年のように不思議な気持ちにさせられます。 進級、進学の季節。新しい学校にドキドキしながら登校する緊張も…

塾生心得 「指導されたい!?」

学習塾の門を叩く生徒諸君および保護者の皆さまは、もしかすると「指導されること」を強く期待しているかも知れません。 「テスト対策はどうやって指導してくれますか?」と尋ねられても、私はおそらく曖昧な笑みを以て応えることでありましょう。なぜなら私…

盆栽教育論(18) 針金と教育 Ⅳ

○効いたら速やかに・・・ 授業形態の如何に拘わらず、指導者の言葉ひとつ、アドバイスのタイミングひとつで、子供の理解や感じ方は大いに変わってきます。一対一で子供に向き合う時などにも、「よし、ぴったりおちた(理解した)」とほくそ笑んだり、「しまった、…

盆栽教育論(17) 針金と教育 Ⅲ

○ハリガネは美しく 幹枝にかける針金は交差させてはいけないし、巻きの途中でへんに隙間が空くようでもいけません。針金はいつも負荷をかける枝にぴったりと沿わせて、枝の太さに応じてその都度番手(口径)の違うものを掛け渡していきます。 ですから、枝先に…

盆栽教育論(16) 針金と教育 Ⅱ

○軌道修正としてのキョウイク 確たる目的もなしに下手な針金を掛ければ樹は枯れます。それもそのはず、樹の生育にとって針金など自身の肥大化を抑制するファクターでしかなく、まさに盆栽愛好家のエゴ百%。 健康でのびのびとしていて、それこそ大自然の中に…

盆栽教育論(15) 針金と教育 Ⅰ

○なぜ針金を巻くか テレビに映るような盆栽が、どうしてあんなに均整のとれた形をしているのかと申しますと、それは枝葉の一つ一つに至るまで、職人が丹念に針金をかけて整枝しているからに他なりません。 ここが盆栽と植木の大きく違うところ。針金というバ…

些事放談「コモン・センス」

とある教室のトイレが詰まった。 詰まりの原因はトイレットペーパーの芯を流したことによるもので、悪質なイタズラをした張本人は即座に突き止められて事情聴取が行われた。保護者にも事の仔細を連絡すると、のっそり現れて子供のやらかした不始末を詫びる。…

盆栽教育論(14) 樹と子供の個性 Ⅴ

○個体差について 盆栽愛好家に好まれる樹種に「五葉松」というのがあります。黒松や赤松などのおなじみの針葉とはひと味違って、一芽につき約五枚の新葉が愛らしく、産地によっては葉の形や見かけがまるで異なるのが、愛好家を「ヌマ」へと誘い込む心憎いポ…

盆栽教育論(13) 樹と子供の個性 Ⅳ

○性根を見据えて 樹と子供の「個性」とは、その数だけ存在するといっても過言ではありません。しかしながら、「個性」とは時間の経過とともに自ずから顕現するものではなく、それを見いだし、磨くという行程を経ないことには、結局の所、宝の持ち腐れに終わ…

盆栽教育論(12) 樹と子供の個性 Ⅲ

○見どころはどこ? 盆栽愛好家がためつすがめつ盆樹を「観察」するのは、一つに日々のケアという側面もありますが、そこには「その樹の見どころ」を見いだすという重要なポイントがあるのです。 全ての樹が教科書通りに仕上がるわけはありません。人も樹もあ…

盆栽教育論(11) 樹と子供の個性 Ⅱ

○観察よりはじめよ 「自分の思った通りにならなかったから、この子供の教育は失敗した。」という嘆きの後に、一切の手立てが中絶されるように、「自分の思い通りにならなかった樹」もまた、棚場の隅で同じ姿のまま水だけやって放置されるというのが、盆栽あ…

盆栽教育論(10) 樹と子供の個性 Ⅰ

○樹との出会い 「この樹をどうしようと思って買ったの?」と問われてへどもどしてしまうようでは、自分の棚場に「どうしようもない樹」ばかりが増えていく一方。愛好家の直観という名の衝動買いは、時に私もまた抗うことのできない魔力を秘めているものです…

教育雑記帳(49) 三つのミス Ⅲ

三、分かっているのに間違える 私が思うに、もっともタチの悪い「間違い」がこの「分かってたのに間違えちゃった」というものです。巷ではこうした類いの「間違い」を指して「ケアレスミス」と呼ぶことが多いわけですが、正直なところ「ケアレス」に対するケ…

教育雑記帳(48) 三つのミス Ⅱ

二、無軌道な間違い 「どうして間違ったのか」が一目瞭然である間違いの対極にあるのが、この「無軌道な間違い」であります。つまりは「どうして間違ったのか」学習者も指導者も分からない、計算や論述の過程からその思考回路が一向に見えてこない間違いがこ…

教育雑記帳(47) 三つのミス Ⅰ

学習者はその学習過程において、まず以て必ず「間違い」ます。一度も転ばずに自転車に乗れるようになるのが珍しいように、未習熟な学習者が学びの道中においてコケることは、当たり前のことなのです。 そんな学習者に対して「間違えるな!」と教える輩はとり…

塾生心得 2月のお便り

「大寒(おおさむ)小寒(こさむ)、山から小僧が飛んでくる」。そんなフレーズがつい口をついて出てしまう大寒波が襲来し、テレビでは外へ出るなと言うから家に籠もっていようと思っても、暖房なり何なりで電気と灯油を使わなくてはならない・・・なんとも、厳しい…

教育雑記帳(46) 助け船はドロ船? 後編

一から十までつぶさに指示を出して課題なり何なりを達成させるということは、達成に至る別のプロセスや解法から目を背けさせることでもあるのです。そうなってくると「教えられる以外のこと」に対して可能な限り鈍感であることこそが、寧ろ「優等生」の条件…

教育雑記帳(45) 助け船はドロ船? 前編

学校の先生ごっこと称して、子供が教員と生徒役をかわりばんこに演じているのを見たことがあります。 そこでは決まって教員役の子供が「○○ちゃん、ちゃんとしなさい!」と檄を飛ばしていたり、「ここは、こう! 次にこうやって、こうしなさい!」と、普段言…

盆栽教育論(8) 実生苗と幼児教育Ⅲ

○初動の失敗に学ぶ 自分の盆栽棚を眺めている時、いつまでもうだつの上がらない子供をみている時、私はいつも「ああ、初動が失敗しているなぁ。」という感慨を新たにしています。 盆栽における初動とは、他ならぬ「立ち上がり」というお話しは前回までのとこ…

盆栽教育論(7) 実生苗と幼児教育Ⅱ

○大きくなってからでは・・・ 剪った曲げたは盆栽の常であり、時には大胆に鉄棒なんかをあてがって大がかりな改作などが行われるわけですが、やはり「立ち上がり」となるとそうはいきません。 樹が最もよく太って硬くなる部分である「立ち上がり」は二年、三年…