かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

盆栽

盆人漫録(31) ゴロ土とは何か。

愛好家が二人居れば互いの棚の近況について話がはじまる。愛好家が三人居れば、もそっと込み入った話がはじまる。「ところで、ゴロ土って皆さんどうしてます?」と何気ない問いがわが盆栽同好会の「土トーク」の最中に転がりでました。 「ゴロ土」と言ったら…

盆人漫録(30) ブレンダーの集い

「私はあと、富士砂かなぁ。」 「ほぉ、自分は何となく矢作砂ってやつを入れてます。」「ボクは赤玉と桐生だけだなぁ。」「日向って人もいるね。」 各人配合の割合はそれぞれ。基本の赤玉土と桐生砂の割合が「5:5」「6:4」と分かれるのは、棚場ごとの…

盆人漫録(29) 樹育てと子育て

私のよく知る愛好家が、このところ人の親となったそうな。この間の同好会に眠そうな顔をして出席していらっしゃったので、近況をお聞きした次第であります。以下聞き書き。 このところ育てているものが増えてしまいまして、日々えらいことですよ。「育てる」…

盆栽教育論(18) 針金と教育 Ⅳ

○効いたら速やかに・・・ 授業形態の如何に拘わらず、指導者の言葉ひとつ、アドバイスのタイミングひとつで、子供の理解や感じ方は大いに変わってきます。一対一で子供に向き合う時などにも、「よし、ぴったりおちた(理解した)」とほくそ笑んだり、「しまった、…

盆栽教育論(17) 針金と教育 Ⅲ

○ハリガネは美しく 幹枝にかける針金は交差させてはいけないし、巻きの途中でへんに隙間が空くようでもいけません。針金はいつも負荷をかける枝にぴったりと沿わせて、枝の太さに応じてその都度番手(口径)の違うものを掛け渡していきます。 ですから、枝先に…

盆栽教育論(16) 針金と教育 Ⅱ

○軌道修正としてのキョウイク 確たる目的もなしに下手な針金を掛ければ樹は枯れます。それもそのはず、樹の生育にとって針金など自身の肥大化を抑制するファクターでしかなく、まさに盆栽愛好家のエゴ百%。 健康でのびのびとしていて、それこそ大自然の中に…

盆栽教育論(15) 針金と教育 Ⅰ

○なぜ針金を巻くか テレビに映るような盆栽が、どうしてあんなに均整のとれた形をしているのかと申しますと、それは枝葉の一つ一つに至るまで、職人が丹念に針金をかけて整枝しているからに他なりません。 ここが盆栽と植木の大きく違うところ。針金というバ…

盆栽教育論(14) 樹と子供の個性 Ⅴ

○個体差について 盆栽愛好家に好まれる樹種に「五葉松」というのがあります。黒松や赤松などのおなじみの針葉とはひと味違って、一芽につき約五枚の新葉が愛らしく、産地によっては葉の形や見かけがまるで異なるのが、愛好家を「ヌマ」へと誘い込む心憎いポ…

盆栽教育論(13) 樹と子供の個性 Ⅳ

○性根を見据えて 樹と子供の「個性」とは、その数だけ存在するといっても過言ではありません。しかしながら、「個性」とは時間の経過とともに自ずから顕現するものではなく、それを見いだし、磨くという行程を経ないことには、結局の所、宝の持ち腐れに終わ…

盆栽教育論(12) 樹と子供の個性 Ⅲ

○見どころはどこ? 盆栽愛好家がためつすがめつ盆樹を「観察」するのは、一つに日々のケアという側面もありますが、そこには「その樹の見どころ」を見いだすという重要なポイントがあるのです。 全ての樹が教科書通りに仕上がるわけはありません。人も樹もあ…

盆栽教育論(11) 樹と子供の個性 Ⅱ

○観察よりはじめよ 「自分の思った通りにならなかったから、この子供の教育は失敗した。」という嘆きの後に、一切の手立てが中絶されるように、「自分の思い通りにならなかった樹」もまた、棚場の隅で同じ姿のまま水だけやって放置されるというのが、盆栽あ…

盆栽教育論(10) 樹と子供の個性 Ⅰ

○樹との出会い 「この樹をどうしようと思って買ったの?」と問われてへどもどしてしまうようでは、自分の棚場に「どうしようもない樹」ばかりが増えていく一方。愛好家の直観という名の衝動買いは、時に私もまた抗うことのできない魔力を秘めているものです…

盆人漫録(28) 同好会と多様性

そしてこれはこぼれ話。 佐々木さんに例のレジュメをいただいた席上、嬉しくって早速紙面に目を走らせていたところ、佐々木さんが小走りで駆け寄って来られる。 「宮川さん、それはどうか家で読んでくださいよぉ」と謙遜しておられるから、いやいやこれは本…

盆人漫録(27) 盆栽ゼロ年

年明けの盆栽同好会で、思いもよらぬ物をもらいました。 挿し木をしたポット苗や、「ちょっと棚の整理に協力されたし!」と譲りうける鉢の類いではありません。実にそれはプリントアウトされた文章であり、制作者は昨年同好会に入会された佐々木さんでありま…

盆栽教育論(8) 実生苗と幼児教育Ⅲ

○初動の失敗に学ぶ 自分の盆栽棚を眺めている時、いつまでもうだつの上がらない子供をみている時、私はいつも「ああ、初動が失敗しているなぁ。」という感慨を新たにしています。 盆栽における初動とは、他ならぬ「立ち上がり」というお話しは前回までのとこ…

盆栽教育論(7) 実生苗と幼児教育Ⅱ

○大きくなってからでは・・・ 剪った曲げたは盆栽の常であり、時には大胆に鉄棒なんかをあてがって大がかりな改作などが行われるわけですが、やはり「立ち上がり」となるとそうはいきません。 樹が最もよく太って硬くなる部分である「立ち上がり」は二年、三年…

盆栽教育論(6) 実生苗と幼児教育Ⅰ

○立ち上がりこそ 盆栽を観賞する際の重要な評価ポイントの一つが「立ち上がり」と呼ばれるものです。 その名の通り、表土から伸び上がって、最初の枝に至るまでの幹模様(幹の様子)を指して「立ち上がり」と呼ぶわけでありますが、ここに曲(ひと曲がり)がある…

盆栽教育論(6) 鉢に入った子供Ⅴ

〇変わるべきは子供? 近年は、スマートフォン、及びSNSに依存する子供の増加が問題になっているわけですが、現今の家庭「環境」を想像すればそんなのは最早必然のことと言えます。 もし子供をスマートフォン依存から立ち直らせたいのであれば、子供にか…

盆栽教育論(5) 鉢に入った子供Ⅳ

○「植え替え」に学べ 夏の暑さでヤケてしまった根っこ、新鮮な水を求めて鉢底から飛び出した根っこ、粒子が潰れて目詰まりをおこした土・・・植え替えを行う際には、こうして悪化した鉢環境を徹底的に改善する必要があります。 可能な限り古土を落とし、悪くな…

盆栽教育論(4) 鉢に入った子供Ⅲ

○与え「られる」環境 「鉢」の環境を整えるように、家庭環境を整えること。 それはまさに教育がはじまる前夜のことなのかもしれませんが、教育の仕事をしていて思い知らされるのは、その子供が生きる土壌の善し悪しであり、ここが根腐れしてしまっていては、…

盆栽教育論(3) 鉢に入った子供Ⅱ

○土と家庭 「自然状態」の「本来の姿」の子供なんてものが初めから存在しないように、もちろん「自然状態」の盆栽なんてものも存在しないのです。そんなのは、ただの樹であって盆栽ではないのだし、「狼少年」だって狼の規範と環境を与えられて育てられた子…

盆栽教育論(2) 鉢に入った子供Ⅰ

○よく似たふたり 盆栽が生きるのは鉢の中。 鉢に入れられた樹は、ほしいままに根を伸ばすことも出来なければ、それによってぐんぐん一人で伸び出すこともままならず、ちょっと陽気が好ければ、いつだって水切れの危機と隣り合わせの状態です。鉢に入っている…

盆栽教育論(1) 序

互いにベクトルの違う「ゆかしいもの」は、いつかどこかの地点において不意に落ち合うのではないか、というのが私のぼんやりとした実感であります。 たとえ性質の異なる別個の趣味であれ、学問であれ、雑多な読書であれ、それを一個の人間が「ゆかしい」「な…

盆・再考 降る雪に

冬囲いの中に入れてもらえなかった盆樹たちが、みぞれの降る庭に立ち尽くしています。 やや年も暮れ。曲げたり追い込んだり、私の内に渦巻くエゴイズムによって実害? を被った樹々は暖かなビニールの保護室で養生しながら、「いやはや、今年はだいぶアイツ…

盆人漫録(26) 自然を愛する男

それは、一対一のガチンコ対面でありました。 午前中の当番だった私が、展示会場である「蔵」の扉をギギギと開け放つと、そこに見知らぬ「景色」が広がっていたのです。 その「景色」の中を彷徨う私の視線は、まず以てその鉢の中に強烈な存在感を放つ「灯籠…

盆人漫録(25) ニューフェイス

今はどうしているのやら。 彗星の如く盆栽同好会に入会してきた大型新人。その肩書きは「植木屋さん」とあって、トレードマークのサングラスを、一同畏敬の念をもって眺めたものでありました。 聞けば盆栽もお持ちのようで、樹を知り尽くした本職が育てる盆…

盆栽百計「楡欅(ニレケヤキ)」

それは今から丁度一年前。 初冬の早い夕暮れに、ふと立ち寄ったカインズホームの棚場の隅に縮こまっていたのを、偶然発見したのが馴れ初めである。 すっかり葉を落としきった裸木の状態であったけれど、蜘蛛の巣やら何やらに絡まった枯れ葉が引っかかって、…

盆人漫録(24) 冬のドナタ

出会いと別れ、わが同好会にとってそんなテーマの一年が暮れようとしています。 毎年発注している盆栽カレンダーを、同好会に出席できない会員の家にお届けするのは、けっこう大切な行事でもあります。身体の具合はどうか、盆栽も元気であるかを確認して、暮…

盆栽百計「赤松」

これはコロナが始まるずっと前に、東京は上野のグリーンクラブの常設店において買い求めたものである。ちょうどわがブログのアイコンに、在りし日の姿が写っているのを参照していただきたい。 ひょろひょろとした立ち上がりと、樹肌の細かな荒れ具合が、ちょ…

盆栽百計「石楠花」

私のおばさんが庭の石からワイルドに引っぺがして、そのままビニールに入れて呉れたのが、このシャクナゲである。 「百計」とは言い条、初っ端から見事なまでの私の無策ぶりを露呈するようで、はなはだ気恥ずかしいのであるが、これはこれで「面白い」と思っ…