赤ん坊用のバスタブに湯を汲み入れる。そのうちに彼を風呂桶の蓋の上に寝かせて、身ぐるみ剥がす予定であったわけであるが、コトはすんなりと進行しない。 ふにゃふにゃと直ぐにその所在が分からなくなる腕は奇しくも頑強に肘を突っ張って、脱がせようとする…
私の肝いりの「爪楊枝」は、歯科衛生士のお姉さんにあっけなくスルーされた。伝統的な歯科衛生法の決定的な敗北である。がっくり肩を落とした浪人風情の男が、楊枝を咥えていづかたへか去って行く姿が脳裏を過った。 「では、ちょっとお口の中確認していきま…
さて、ここまで来たら観念しなければならない。ロボット掃除機のせいで心の平静が些か乱されたものの、大きめに切られた窓のおかげで室内は一様に明るい。これはきっと患者の不安を和らげる設計上の工夫であろう。さもなくば頭の上にタラバガニの如くに折り…
愛好家が二人居れば互いの棚の近況について話がはじまる。愛好家が三人居れば、もそっと込み入った話がはじまる。「ところで、ゴロ土って皆さんどうしてます?」と何気ない問いがわが盆栽同好会の「土トーク」の最中に転がりでました。 「ゴロ土」と言ったら…
「私はあと、富士砂かなぁ。」 「ほぉ、自分は何となく矢作砂ってやつを入れてます。」「ボクは赤玉と桐生だけだなぁ。」「日向って人もいるね。」 各人配合の割合はそれぞれ。基本の赤玉土と桐生砂の割合が「5:5」「6:4」と分かれるのは、棚場ごとの…
こんな時にスマートフォンでユーチューブが視聴出来るのは有り難い。一昔前ならばここでパソコンを立ち上げ、有線のインターネット回線に接続して後に、ようやくカクカクした動画を視聴出来たものであるが、まめまめしき情報ならば即座に手に取れるのが現代…
初めて教壇に立った時がそうであった。 大学を出て四月が来て「ハイ、じゃあ先生お願いします。」と言われてチャイムがなる。指導案なんてものはいくら書いても所詮は抽象的な産物であり、机上の空論に過ぎない。ナマの生徒を相手に狼狽しているヒマもなく、…
スリッパが散乱していた。 治療室の前で靴を脱ぎ、そこでスリッパに履き替える段になって、どういうわけかスリッパが皆がら靴脱ぎに墜落している。誰かここで派手に転倒でもしたのだろうか。そんな音はしなかったし、別段転倒の心配がありそうなご年配の姿も…
私がその典型であったわけだが、日本人は歯が悪くなるまで歯医者に行かないのだそうである。悪くなったらそれをお医者に治してもらう、という観念が強いあまり「悪くなる前に行く」という発想がそれほど根付いていないのだろう。 「検診」と言われても何をさ…
とうとう歯医者に行くことになった。 別に虫歯が痛むわけでも、親知らずが化膿してたいへんなことになっているわけでもないのだが、そろって家人に「早く行け」と言われて歯医者へおもむく。幼少のみぎりは痛切な自覚症状による退っ引きならない要求から、な…
勉強を通して「わかる」こととは、山を描くことに似ています。 ある山の山容を描けと言われた人は、おそらく頂上の形からその稜線の様子、裾野の広がりに加えて、それに連なる山系や重なり合って襞を為す隣の山裾の様子まで正確に記憶して「ある山」の全体像…
皆が学者レベルにならねばならない、というわけではないのです。社会生活の中で、他者との関わりの中で最低限、論理的にものを考え、自分の行動を決定したり、適切な言葉を使ってコミュニケーションを行えるようになることこそが、学校教育もとい国民皆学の…
春休みのグラウンドで、若人がパカスカとボールを打ち、何やら特殊なかけ声を発しながらランニングに勤しんでいます。なるほど春休みは、こうしたブカツに励む人々にとって、冬の間ままならなかったトレーニングの遅れを取り戻す絶好の機会なのでありましょ…
人間だれしも一度は思ったことがある。どうしても足りない時間を何かの神通力で以て引き戻し、何事もなかったかのようにコトを終えてしまいたいと。 さっきから「学力テスト」の問題用紙を教科書みたいに立てて、丁寧に一問ずつ設問を音読しているあの子はテ…
肩らしき部分にパット付きのショルダーベルトをあてがい、何となく股だと思われるあたりに見当をつけてベルトをロックする。 いよいよ正解が分からない。どう頑張ってもショルダーの位置に然るべきショルダーを用意することは出来ないし、お股は折り重なる布…
正解が分からない。 これが正しいチャイルドシートの使い方なのであろうか。明らかにこれは「嵌めただけ」である。おくるみをようやくのことで引っぺがした我が子の本体を嵌めてみたのだけれど、これでは固定もへったくれもないではないか。 どこに足がある…
用意した可愛らしいグリーンのベビー服に「着られて」産院から出てきた我が子を、はじめてチャイルドシートに乗せる。 彼はベビー服を「着ている」のではなくて、どう見たって「着られている」としか形容することが出来ない。手は閉じられた胸のボタンの下で…
「ホントに性格でますよねぇ」とスタッフの先生が嘆息するのも無理はない。今年もやって来た「標準学力テスト」は、ウチの教室における新年度の風物詩となりつつある。 教室に通う二年生から高一まで、全員参加で実施するものだからいつもと雰囲気がガラリと…
これは結構見落としがちなところなのかも知れません。 検定試験にやってきた子供達、試験のはじまる前に解答用紙を引っ張り出させて、自分の名前等の必要事項を書かせていると、必ず鉛筆が止まる子があります。 明らかにその目がヘルプと言っているので行っ…
どれだけその一時間があっという間かと言えば、子供の時分に宿題やら何やらを死に物狂いで片付けて勝ち取ったゲームの時間くらい、と応えるべきだろうか。 新しいゲームを買ってもらった昔日の私も、目覚ましく不思議な玩具が目の前に立ち現れた今の私も、畢…
仕事に行くのを忘れそうになる。 つい一昨日のお産までは、難産で時間がかかるようなら教室に出ようなんて了見であったヤツが、面会時間の制限がなかったらいつまでも産院に入り浸る構えで、自分の息子が入ったカゴに齧り付いている。 妻は思いの外産後もケ…
私のよく知る愛好家が、このところ人の親となったそうな。この間の同好会に眠そうな顔をして出席していらっしゃったので、近況をお聞きした次第であります。以下聞き書き。 このところ育てているものが増えてしまいまして、日々えらいことですよ。「育てる」…
宗教とは何か。 私は「物語」であると思う。「死んだらどうなる」というあまりにも普遍的な謎に対して、一つの物語を提示するものこそが宗教の意義なのではないだろうか。一つの宗教に帰依する、いや、親しむということは、それが提示する物語に親しむという…
「いま春の彼岸を迎え、日は真東から昇り、真西へ沈まんとす。西方は阿弥陀如来のおわす浄土にして・・・」の聞き慣れたフレーズを朗々と和尚さんが唱える。季節のうつろいをバシバシと感じる大事なところである。 読経がはじまると、本堂の座り椅子に着座した…
巡る季節の中で、私は春と秋の彼岸の頃の日和が好きである。 苛烈を極めた夏の太陽と炎熱を、さらりと吹き流す風の立ちはじめるのが秋彼岸の頃合いであり、芯まで凍える冬の寒さがどこか遠い忘却の彼方へと去るのが春彼岸の頃合いである。近くなると、お寺か…
ようやく見頃を迎えた梅の花の隣で、桜のつぼみにも薄いピンクがさしてきたようです。寒い季節を耐え忍んで、どこからそんな色を出してくるのか、毎年のように不思議な気持ちにさせられます。 進級、進学の季節。新しい学校にドキドキしながら登校する緊張も…
学期末が近くなると、帰途に就く子供達が運んでいる荷物がにわかに嵩を増してくる。今日は絵の具バックを、明日は習字カバンを、そのまた次の日はお道具箱・・・という感じで、学校の先生がその身を案じて計画的な持ち帰りを推奨しているのだろうが、やはり中に…
「○○のノート」と定めて使い始めたはよいものの、それを定めてしまったが故に寧ろ使いづらくなってしまった経験を持っているのは私だけであろうか。ふと書き留めたいことが起こった時に、不幸なことに手持ちのノートが別の用途のそれであって、泣く泣くその…
私が日々使用しているノートは二種類。一つは万年筆で筆記する日記帳であり、いま一つはシャープペンなり鉛筆を用いて筆記する雑記帳である。まずは万年筆用のノートブックより話を進めて行くことにしよう。○「Premium C.D.NOTEBOOK」(方眼罫) こうして記述…
四月のノートが好きだ。 あの真っさらな一ページ目に書き入れる最初の文字は新鮮な緊張に満ちていて、そして妙に遠慮がちである。その緊張がいつまで続くかは人によるのだろうが、真っさらなページが遙かに優勢を占めている分、四月のノートには三月のノート…