かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

蝸牛独読(10)「西の魔女が死んだ」を読む#2

katatumurinoblog.hatenablog.com一、まいのまなざし 成長を論じるためには、成長以前の段階から分析を進めていく必要があるでしょう。 まいは、中学一年生の五月から学校に行くことが「苦痛」になりはじめます。クラス内の女子グループの中に入って上手く立…

蝸牛独読(9)「西の魔女が死んだ」を読む#1

塾生の読書感想文に付き合って、恥ずかしながらこの年になってようやく読む機会に与ったのが、この梨木香歩『西の魔女が死んだ』であります。 生きている人の小説を数えるほどしか読まない私にとって、その存在はもちろん書店や人々の口から聞いて知っていま…

蝸牛随筆(44) 盆支度 Ⅲ

かつて上方出身の友人に「下から伝い登って仏壇へ入るご先祖様の諸生霊」の話をしたところ、目を丸くして驚いていたのを覚えている。その友人曰く「実におどろおどろしい感じであるし、土着的な信仰の匂いがある。」とのこと。 「そもそも霊体が地を這ってい…

蝸牛随筆(43) 盆支度 Ⅱ

盆棚を吊りながらあれこれ片付けていると、仏壇の抽斗から線香の在庫が大量に出てくる。 線香を発見しかねた祖母が母に、無いから買ってきてくれろと頼んだのだろうが、母は母の所定の位置にしまうものであるから再び発見が遅れ・・・の無限ループが発生したの…

蝸牛随筆(42) 盆支度 Ⅰ

ヘンなゴザを買ってきて、それを仏壇から垂らしてみたり、ナマのソーメンを買ってきて野菜と一緒に吊り下げたり。 子供の時分は盆というものがとくと不思議な行事だと思っていた。今もなお不可解な点はなきにしもあらずなのであるが、クルクルと旋回する盆提…

盆栽と暮らす(12) 暑中お見舞い申し上げます

炎天燃えるような烈暑のなか、棚の盆樹たちは逞しく生を謳歌してその緑を漲らせています。 「なんともはや、見習いたいものだなぁ」と思うひ弱な人間はサッシの内、高校野球を聞きながら冷房の効いた安全圏にわだかまって情け無い感慨を述べているわけであり…

教育雑記帳(68) ハンドパワー

「ハンドパワー」。無理矢理翻訳すると手力。天岩戸をこじ開けた、あの手力己尊のそれはやはり想像を絶するものであったろうと呑気な推測をしつつ、親戚の子の握るこども鉛筆を見つめる午下がり。 私だけでしょうか、最近の幼児はどうも鉛筆を握るのが不得手…

盆栽と暮らす(11) 嗚呼、良かった。

芽切りの写真を撮っておけばよかった。と毎年のことのように後悔する私は、新芽を切られてもまた不屈の営みによって二番芽を吹かせる松の樹に比べても、一向に成長していないということなのやも知れません。 あんなに切ったにも拘わらず、棚場の松の枝先に鮮…

育児漫遊録(31) 注射の心得 Ⅴ

ついとこの間打ったばかり、なんて思っているとまた直ぐに一月後の予防接種が迫っている。目を真っ赤に充血させて世話している時には、延々と飴のように続くかに思われた時間が、殊注射となると昨日の今日みたいにやってくる。時間とは何と行き当たりばった…

育児漫遊録(30) 注射の心得 Ⅳ

「おっ、一気呑みかな?」 お医者さん監修のもとで、我が子は『ビフ』の経口投与ワクチンを脇目も振らずに一気呑みしている。珍しい味なのだろう。生まれてこの方二月あまり、乳より他のものを味わったことがないのだから無理もなかろう。 まぁ、経口ワクチ…

作文の時間(15) 私の好きなこと Ⅲ

「すごくオモシロイ」と自分でハードルを上げただけあって、確かに面白い。 作文の構成もそこそこに見切り発車した割りには、自分の「大好きなプラモ」についてたっぷり語っています。何でもそれは恐竜のプラモデルだそうで、最初に骨格を組んでから「プラス…

作文の時間(14) 私の好きなこと Ⅱ

「好き」の対象について語る言葉を持ち合わせるからこそ、それは「文化」としての長い生命を持ち合わせるのだと私は思うのです。カルチャーとサブ・カルチャーを分けるものを強いて挙げるならば、それこそが「好きについて語り得る」言葉の質と量なのではな…

作文の時間(13) 私の好きなこと Ⅰ

今年も恒例の夏の作文教室がはじまりました。 さて本日は集まった子供たちにお題を出して、それについて自由に作文を書いてもらいます。 お題はあえてざっくりと「私の好きなこと/もの」。もちろん対象は何だっていい、ちょっと好きでも大好きでもどっちだ…

一部記事の取り下げに就いて

読者諸氏へ。平素より拙ブログにお付き合いを頂き、深く御礼申し上げます。 さてこの度、退っ引きならぬ事情によりブログ記事のバックナンバーから一部の連載記事を取り下げる運びとなりました。ご愛読いただいた方、そして「星」まで付けて下さった方々には…

教育雑記帳(67) 悪筆の栄え Ⅱ

字が変わってきた子供を、これまで何人も見たことがあります。 もちろん字そのもののバランスが取れて、ヘンなクセ字が是正されるという点もありますが、何より字が変わってくる子は、たいへん計画的に字を書けるようになって来ます。 残りのスペースを塩梅…

教育雑記帳(66) 悪筆の栄え Ⅰ

字を見れば、それを書いた人物の人品が何となく想像出来るというもの。ましてや子供が書く字となると、それはほとんど自己紹介と同じようなものなのではないかと私は思うのです。 いま私の前に四則の計算をする子が二人あるとしましょう。一人は勢いに任せて…

塾生心得「八月のおたより」

「いつまでも あると思うな 夏休み」と早速、笑点の答えみたいなのを一発。その心はズバリ、お盆を過ぎると夏休みは倍速になるので気を付けましょう、という一つの真理をそこの夏休みボーイとガールにアドバイスしておきたかったのであります。 夏休み真っ盛…

盆栽と暮らす(10) また出てきてくれるかな?

波平さんのアレをいざ自分でやってみるとなると、やっぱり不安なものです。次の芽がちゃんと出てくれるだろうか、何年経っても私はおっかなびっくりであります。あんな穏やかな顔で、時にはタラちゃんの相手なんてしながら芽切り作業に勤しめるなんて、波平…

盆栽と暮らす(9) 波平さんのアレ

陽の当たる縁側で、波平さんがぱちりぱちりと愛培の松を鋏んでいます。 日曜日の記憶としてすり込まれたおなじみのアノ風景でありますが、実はアレ、とってもレアな作業なのです。 かつては私も盆栽をはじめるまで、盆栽というものはああして波平さんだとか…

育児漫遊録(29) 注射の心得 Ⅳ

かつて彼は紛れもない幸福の世界の住人であった。夜となく昼となくたゆたう羊水のゆりかごに、幸福な眠りを眠っていた彼は、ひょんなことから母の産道を下らねばならなかった。 下ったところは生き馬の目を抜く変転めまぐるしき世界である。ゆめゆめ油断する…

育児漫遊録(28) 注射の心得 Ⅲ

かつて私の母は、これから注射を受ける幼い私に「痛いぞ、痛いから泣くなよ。」と言って聞かせたそうである。 なぜそんなことを言ったのか尋ねたら、何と言うことはない「痛くないわけがないから」だそうである。なるほどこれは一理ある。 方便とはいえ「痛…

教育雑記帳(65) ねじれ英語教育 Ⅱ

今や小学校から英語の勉強を義務化されているわれわれは「国際競争力」の名の下に、いったい何と競うことを企図されているのか・・・。 おそらくそれは、資本という優勝劣敗ゲームのもとに目まぐるしく変転する世界市場という場において戦える人材になることを…

教育雑記帳(64) ねじれ英語教育 Ⅰ

なぜ英語を勉強せねばならないのでしょうか。「この頃のように日本もだんだん国際的に顔が広くなって来て、内地人と外国人とが盛んに交際する、いろんな主義やら思想が這入って来る、男は勿論女もどしどしハイカラになる、と云うような時勢になっ」たがため…

育児漫遊録(27) 注射の心得 Ⅱ

飲むワクチンがあると言う。 よくよく検めてみたところ、接種予定の五種類のうちの一つが何と『経口投与』と記載されているではないか。飲むのは「ロタワクチン」ということであるが、この「ロタ」は感染すると腹を下すウイルスなのだとか。よりによってスゴ…

育児漫遊録(26) 注射の心得 Ⅰ

一体何発打つんだ? 母子手帳を開いてまず驚いたのを覚えている。見開きに細かな字でびっしり、ありとあらゆる種類の予防接種が並んでいる。「水疱瘡」や「おたふく」「はしか」「BCG」あたりは私もやったり罹ったりした覚えがあるけれど、「ビフ」だとか…

蝸牛随筆(41) ツンドク Ⅲ

ツンドクの極意は、とりあえず買っておくことである。 自分の専門領域であれ、馴染みのないジャンルであろうと、それがちょっとでも「ゆかしい」と感じたらとりあえず買うのです。何と非効率で不経済なやり方かと開いた口の塞がらぬ方もあるかと思いますが、…

蝸牛随筆(40) ツンドク Ⅱ

自分のツンドクを眺めていると、「あちゃー」という気分より先に「さて、次は何を読もう」という気になる。恥ずかしながら、これが読書を進める原動力となることもしばしばであり、次のが読みたいから読みさしている本を一生懸命読んでしまおう、なんて小学…

蝸牛随筆(39) ツンドク Ⅰ

またツンドクが増えた。 それは本屋に行ったからである。なぜ本屋に行ったかというと、月を跨いで各出版社から新刊が出る頃合いになったがためである。 読む本がカツカツで、活字に飢えていたからというわけでもなく、読んでいない本はわが家の書庫にゴマン…

教育雑記帳(66) 違うものは違う Ⅳ

「違う、なんて言う権利がおれにはない」と退くのは誰にでも出来ること。それに比して「それは違う」と叱正した人の風当たりが強くなるのもまた避けられないことでしょう。 ですが、万人がおめおめと非倫理的な行いの前に退却していてはロクな世の中になりま…

教育雑記帳(65) 違うものは違う Ⅲ

「違う」ものを「違う」と言わない場面は、よもや学習面ばかりではありますまい。子育ての場面において「私は子供の言うことを否定しません」と豪語する人がありますけれど、果たしてその子供は絶対に間違えないのでしょうか。もちろん、間違えたとしても頭…