針金かけ
教壇に立っていた頃より、よっぽど教育らしいことをしている。なんてことを思いつつ今日も針金をかけている。方向を修正したり、立ち上がってしまった枝を下げたり引っ張ったり、将来そうなってほしいヴィジョンが明確でなければ、いたずらに樹を疲れさせたり、痛めつけたり、とかく有害極まりない。
針金が効いたら速やかに外してやる。良くなる方へ軌道修正してやりさえすれば、樹も子供もおのずから良い芽を伸ばしてくれるはず。
挿し木
お気に入りの樹を剪定していると、ついついやってしまう。家人にはもう鉢を増やすなと言われるけれど、切った枝がもったいなくって、とりあえず挿してしまう自分がいる。するとこれがまた意外と成功して見事、親樹を差し置いて盆栽棚のレギュラーの座を射止めたりもする。
盆栽は増やすにもお金のかからない趣味なのだ、と今日も家人をなだめ、すかしつつ、そしてまたせっせと枝を挿している。
盆栽用土
ふるいにかけて、そしてまたふるいにかけて、ひとつひとつ不純物を除いてやって、さらに乾燥させる。今年のブレンドはどんな比率にしようか、表情をみながら配合を変えていく。これは珈琲ではなくて、土の話である。
春を待つガレージに濛々と土埃が立つと、いよいよシーズンの到来が近い。よく乾された土は温い。この土を混ぜていると、冬の間かじかんで縮こまっていた心がほぐされてゆく心地がする。それは生きることの芯の部分に触れるよろこびだろうか。
植え替え
「そんなに切るんですか?」と驚かれるが、そんなに切るんです。鉢の樹と自然の樹の一番の違いはここである。人間のエゴで鉢に入れられた樹は、放っておけば充満した自分の根によって窒息してしまう。
冬の終わりの日、青っ洟垂らしながら一鉢、一鉢、古土を落とし根をほぐし植え替える。それはちょっとした修行でもあり、鉢の中に生きる自らの似姿に幸あれと願う、ささやかな祈りのようでもある。