小学校に入ったら毎日「宿題」というものが出されて、そいつを小学生というものはヒイヒイ言いながら解くものなのだ、だから自分もまたのび太君みたいに目から星なんか飛ばしながら、山のような宿題をガリガリこなすのだ、と密かな憧れを持っていました。ドラえもんに泣きつくのび太君のランドセルから出てくる分厚い教科書と宿題が、幼稚園児だった私にはやけにゆかしく感じられたのです。しかし、小学校入学と同時に、この切なる願いは裏切られました。
今風の言葉でいえばワンパンで、少し前の言葉でいえば瞬殺で終わる小学校の宿題。なんだこれは、何か自分は宿題をするにあたっての大事な手続きをすっ飛ばしてしまっているのではなかろうか。あるいはプリントは実のところ二枚あって、うっかりそのうちの一枚ばかりを持ってきたのではあるまいか、だとしたらこれは宿題をやったことにはならず、ドラえもん風にいくと明日はきっと先生に叱られて廊下へ立たされる羽目になるのではなかろうか…。という一抹の不安も杞憂に終わり、結局のところ毎日の公文に比べれば造作もないという見解に至りました。
それもそのはず、小一で泣きながらC教材(かけ算のひっ算)あたりをしていた記憶があるので、正直なところ学校では「ほほう、小学校とはこんな感じなのですな」という気分を味わい、お勉強の本番はやはり公文という感じでありました。足す9でこれもまた毎晩のように泣いたことや、今は改訂されてなくなってしまった国語の書き写し教材で爆発したこともまた、ツライ経験に耐えるキャパシティ(閾値)を大きくすることに一役買ったのだと思います。だから公文に比べれば、と思うことで大体のものはイージー・モードに見えてくるわけで、プールと跳び箱と給食のカップ・エッグを除いて、およそ我慢ならないと思うようなことはありませんでした。
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