かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

盆・歳時記 其の四

樹形

 水戸黄門や寅さんの物語パターンにテレビの前の我々がホッとさせられるのと同じように、盆栽にも一応基本の型がある。そしてそれが芸術を観る際のほどよい導入となってくれるのは、「型」と名付けられるものの本質である。
 さはれ盆樹という盆樹が、みなその基本形に作りうるかと言えばそうではない。どのパターンにも当てはまらぬ無頼派もある。そんな時はとりあえず、その個性と語り合ってみる。速断なぞしなくてよい。何となれば二年でも三年でも。それが愉しかったりするのである。

飾り棚

 イメージは深山幽谷。裾野の里山を紅や黄の落葉樹が彩り、山巓には常盤木が岩盤を噛んでそそり立つ。清涼な緑の氾濫を谷間から吹き上げる雲が靉靆と包み込めば、桃源郷もかくやと偲ばれる。仙境をたずぬれば、牛ひく牧童、あっちだよと白い歯を見せて笑う。
 何を言っているのだ、と思われても仕方がない。盆栽は見立ての遊びなのである。自然らしきものを、山に見立てた棚に配置したりなんかして、イメージの自然を喫する遊びなのだ。なに、流行り病でどこへもゆけない? なんなら徳利ぶら下げて、ひとりこの深山に分け入ったってよいのだ。

添配(てんぱい)

 アガリを待って焦っている人の意ではない。盆樹の影に添うごとく、瀟洒な飾り棚のふもとにさりげなく。野の草、日陰の花、とかくきのおけないものがよい。こってりと主木を眺めたら、情報過多の両の目をここで小休止させる。
 たかが添え物、されど添え物。首相官邸のエントランスには立派な盆樹が飾られてあるが、いつもテレビのカメラに小さく見切れて、政治家の添え物みたようである。されど、そんな素敵な添配に見合う為政者が何人いることか。

katatumurinoblog.hatenablog.com