丁度、羽生さんが「やってて良かった公文式。」とテレビで連呼していた時分でしたか、当時は天才棋士の絶大な宣伝効果でだいぶ人が入ったのだとか。擦り切れた畳の上に煎餅座布団が敷いてあって、横長の座り机に三人四人と、ずらり私を含めたちびっ子が並んでいるところへ、わざわざちょっかいを出しにやってくる不逞の輩。「サドシ! まだあんだ、ちゃっこいのさすっかげで、早ぇぐやって、ぱっぱど帰(け)らいんわ!」と先生の檄が飛ぶと、大量のお直しを抱えたサトシ君(仮称)はすごすごと年長者席へ引っ込みます。この年長者席というのは、数ある教室の机のうち、ただ一脚だけスタンド式になっている机で、なんとパイプ椅子に座って公文が出来るという憧れ仕様の席。今思えば、半分腐った壁紙を目立たなくするカモフラージュだったのやもしれませんが、少年の日の私にしてみれば、たといそれが例のサトシ君であろうと、そこに座っている人々は半端ねェ感じの人々であり、リスペクトの対象でありました。
賑わい担当のサトシ君はそろそろよいとして、高進度を学習していたN君やH君など、二つ三つ上の先輩たちの名前は憧れの感情とともに、いまだ耳に残っています。隣は何をする人ぞ、と覗き込んだ彼らのプリント上に並ぶ活字の細かさに度肝を抜かれたこともまた、公文式と付き合っていく上での欠かせない刺激だったのだと思います。かつて大学で教育学の授業に出て、近代の学校における一斉授業形式のアンチ・テーゼとして江戸期の寺子屋形式が位置づけられる、と習った折にも、私の感想は「それって、早い話が公文だでや!」に尽きました。
隣は何をする人ぞ。教科書が意味不明で思考停止、うつろな目に口を半開きにして鼻くそをほじくっている奴を眺めるよりかは、少なからず自分より少し先の山道を登っている人々の後ろ姿を眺めていたいものです。これから自分もまたそのプロセスを辿ることになるのだと思うと、自然と心の準備も出来るし、いつかそれを余裕で解いちゃっている(やもしれない)自分を妄想してニンマリしたりしなかったり……。生徒諸君、あなたのお隣で机にかじりついているその人は、何をお勉強する人でしょうか?