かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

定点観測(1) 待合室

 「定点観測」と銘を打って、公文のスタッフ机から私の見る風景を描いてみようと思います。母の経営する「あゆの里」教室、妻として営む「ほなみ教室」、それぞれにキャラクターがあって、なかなか観察対象には事欠きません。それは私にとって、およそ日常の景色ではありますが、こうして語りに落とし込むことで見えてくるものもあるのやも知れません。

「待合室」

 なんだかそれが、春を待つ姿にすら思えてくる。
 というのはそもそも自分が今日の雪かきで、もう雪はたくさんだと、心底うんざりしていたことによるのだろうが、ああして一心に雪の降る窓の外を見つめて、自分の迎えを待つ子供たちの姿には実に健気なものがある。
 そんな感慨を抱くのも、最早自分がお迎えをされる方から、する方へ移ってしまったからなのだろう。さはれあの、迎えを待つ心のうちの切実なることは忘れていないつもりだ。
 そりゃあお迎えは家族内の変な行き違いや、余程の天変地異がない限りやってくる。子供を公文の教室へ置いたまま旅行に出かける家はないのだし、遅れることはあっても、いつかは必ず来るのだ。それでもやっぱり、子供は窓枠にかじりつくようにして、自分の家の車の影が見えるのを今かいまかと待っている。
 向こうに見えるライトはうちの車だろうか。あれがそうだったら、どんなにいいだろう。
 別に二分も三分も早く家へ帰れたところで、それほどのアドバンテージがあるわけでもないけれど、待合室というところは、お迎えを待つという時間は、子供らの小さな胸にいっぱいの不安と期待とを醸成するものであるらしい。
 降る雪が行きかう車の色を曖昧にして、彼岸前の陽足はまだまだはやい。祈るようなまなざしで、彼らは車のヘッドライトにおのが家居の暖かな風景を想うのだろう。待てる、ということはなんと幸いなことだろうか。

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