かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

私と公文式(7) 弟、受難篇

 食って遊んで寝る、これが小学生にとって(とは限らないけれど…)の悦楽の境地だとすれば、私の弟はこの禁断の果実を最初に全部食べてしまうのでした。するとこの後に待つのは彼にとっての紛れもない受難でありまして、今度は晩のごはんをたらふく食べて眠いのに、公文があるから寝られない、というジゴクを見ることになるのでした。
 両親の帰りが遅い日なぞは、おじいさんとおばあさんが気をもんで、「まだ、あんだ九時すぎるよわ」と何度となく促され、ようやく学校の漢字ドリルをやりだす。もちろんこの段階では、いまだ公文には指一本手をつけておらなんだわけだから、最早手遅れであることは誰の目にも明らかなのですが、当の本人は人々の心配もどこ吹く風、あくびをしいしい漢字ドリルを済ませて「よし、学校の宿題、おわった」と謎の達成感に浸っている。
 両親が帰宅すると、おじいさんとおばあさんはそそくさと部屋へ引っ込み、公文も学校の宿題も片付けた私は次の間に引っ込んで、念願のゲームにありつく。その頃茶の間では両親が遅い夕食をとる傍らで、弟が公文をはじめている。逃亡を防ぐために子供イスでがっちりとテーブルに固定された上に、ばっちり監視されているとあっては、流石の御大将もやらないわけにはいかないのですが、そこへ睡魔が追い打ちをかけて、頭がテーブルにごとりと沈む。
 今日も茶の間で鳴り出したカミナリを聞きながら、「ああ、やだやだ」と寅さんのおいちゃんみたいな感慨を抱きつつ、今日は十時コースかしら、と予報を出している私でありました。今も教室で子供たちの、眠くて書いたのだろうな、という宿題を見るにつけても、怒りに任せてくしゃくしゃにしたらしい宿題のシワを伸ばすにつけても、私はあの頃の弟の受難の数々を思い出し、ほんとに「凝りねェ野郎だ」ったと改めて驚かされるのです。

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