学校の教員稼業に区切りをつけたばかりのころは、情け容赦なく鬼平なみに取り締まったり、怒ったりしていたことがあったが、このごろはそのヌケてきた宿題の穴から、教室では見られない彼らの生態を興味深く観察して愉しんでいる自分がいる。
中抜けとは、宿題のプリントを故意に空欄で提出することの謂いである。なぜ彼らがそんなことをするかなんてことは、もちろん決まっている。一刻も早く宿題を終わらせて、今日という限りあるハッピーな時間をエンジョイしたいがためにほかならない。公文の申し子(ずぶずぶの腐れ縁)と言うべき私はその気持ちが痛いほど分かるのだ。
例えば算数の宿題プリント一日分が五枚あるとする。三枚目の表あたりまでは集中力が持続するのだけれど、これを裏返した時に、まだ自分が折り返し地点に到達したに過ぎないことを認識して愕然となる。しかも、四枚目からは山頂の五枚目裏にかけて急登が多く、ぶっちゃけ三枚目まではウォーミングアップ代わりの林道みたいなものなのだ。だから、四枚目の表でイヤになっちゃう。五枚目の裏で登頂を断念して引き返すことになる。
そんなジジョーから中抜けに手を染める人々は、なかなかどうして後を絶たない。まだ初犯のうちは分かりやすく、力尽きた地点から最後にかけて真っ白、という感じなのだが、常習犯になってくるとけっこう手が込んで来る。受付で「ゼンブヤリマシタ」的な何食わぬ顔で宿題を提出した際に、裏が白いとすぐにとっ捕まる。だから五枚目の裏だけはイヤイヤ書いて、四枚目裏と五枚目表を抜くのである。まあ結局のところ、どうしたところで抜いた以上事は露見してしまうのであるが、苦し紛れの悪知恵、いたちの最後っ屁的な抵抗を見るにつけ、勉強と遊びのあいだで葛藤する彼らの姿が偲ばれて、これもまたクスリとさせられる。
さはれ、この中抜けの一党を捨て置くわけにもゆかず、されど叱るのも何か違う気がする。彼らのレベルと宿題がきちんと釣り合っておるのか、何か退っ引きならぬ事情はありやしないか、そっとお白洲に呼び出だして公正な大岡裁きを与うるに越したことはない。