かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

教育雑記帳(1) 「しません」はしません

 流行り病の少し前のことだったろうか。学校の塀沿いの路を歩いていると、ちょうど放課の鐘がなった。暖かい季節のことであるから、玄関からわき出した子供たちが校庭へ飛び出して、帰宅前のひと遊びに興じているところを横目に、よきかなよきかな、と通り過ぎようとしたところ、突如へんてこな言葉が聞こえてきたので立ち止まった。
 「ジャングルジムの上には立ちません。ジャングルジムの上には立ちません。」
 面妖な発言である。いったいどこから聞こえてくるのかしら、と校舎の方を見やると二階の教室のベランダから教員と思しき男性が、自慢のよく通る声を響かせていることが了解された。「ジャングルジムの上には立ちません。」はじめ私は、いったい彼が気でもふれたのではないかと思ってひどく心配したのであるが、ジャングルジムに目を転じると、そのてっぺんには今しがた登頂を成功させた少年が、まさに校庭の最高峰から帽を振っている。するとこの少年、件の声に気が付いたのか、先程までの気色も褪せてすごすごと降り始めたではないか。
 「ジャングルジムの上には立ちません。」私はいまだに不思議でたまらない。状況から察するに、危険を冒している少年に警告するのが、この教員の本意であるとしたら、なぜこのような物言いでなければならなかったのか。「ジャングルジムの上には立ちません。」と言われたら、少なくとも私は「ああ、左様ですか。ごくろうさま。」と応えるより他のことをしたくない。なぜならそれは、単なる彼の「俺はジャングルジムの上には何があっても立たぬ」という宣言でしかないのだから。また、もし仮にそれが教員としての立場から、子供に対する注意として発せられたのならば、それは教員の意向を子供に忖度させるような、いやらしい規律・規範の押しつけに過ぎないのだから。
 なぜ、「危ないから降りろ」と言えないのか。下手をすれば転落して一生残る怪我をするやも知れない子供に向かって、そんな回りくどくて押しつけがましい言葉はいらない。AだからBすべきだ――子供に指示を出したければ、いついかなる場合においても明確な論理と簡潔さを追求しなければならないと私は思うのである。
 哀しいことに、私は様々の場面でこの「しません」の変種を発見する。「筆箱は机の上に置きません。」「消しゴムを出します。」「鉛筆も出します。」「鉛筆は全部出しません。」「鉛筆は一本しか出しません。」。あすこの席で指導? されている少年がもし私だったら、私の吐くセリフは「勝手にしやがれ。「しません」はしません。」に尽きる。

katatumurinoblog.hatenablog.com
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