筋金入りの面倒くさがりな私でも、こればっかりは「そのうちになむ」ではいられない。うららかで良い奴だと思っていた春という季節に、「植替えるか、さもなくば殺すか」の物騒な二択を突き付けられて周章狼狽、ようやく庭へ出てみるけれど、あれもこれも植替え待ったなしの方々が温室のなかに声もなく犇めいていて何だかコワい。
「お前が植えたんだから、責任は取るよな?」そうなのです。私がこのちょい小さめの鉢なぞに「ちょっとカッコイイんじゃね?」なんて軽い気持ちで植えたばっかりに、大変なご迷惑をおかけしております。ホントすんません。なんて心の中で平謝りしながら、性懲りもなくまた小さ目な鉢を合わせてみたりしてニヤニヤしている。「なんでもいいから、早く植え替えろよ。」「微塵はちゃんと抜きまして?」「軽石ちょいマシで頼む。」「俺の同期が窮屈がってるぜ!」「固定用の針金セットしてねェじゃん。」「なんで先に鉢の用意しておかねえんだよ。」「冬のあいだ冬眠でもしていたんでしょうか?」と散々わが愛樹たちにディスられつつ、植替えラッシュの休日が暮れてゆく。
植替え
「そんなに切るんですか?」と驚かれるが、そんなに切るんです。鉢の樹と自然の樹の一番の違いはここである。人間のエゴで鉢に入れられた樹は、放っておけば充満した自分の根によって窒息してしまう。
冬の終わりの日、青っ洟垂らしながら一鉢、一鉢、古土を落とし根をほぐし植え替える。それはちょっとした修行でもあり、鉢の中に生きる自らの似姿に幸あれと願う、ささやかな祈りのようでもある。(『盆・歳時記』より引用)