いまの英語教育の潮流が、少なくとも私の受けてきたものと全く違う潮目になっていることは、専門外の私にだってわかります。ふとした懐かしさから以前取り上げた、リピーターが過去の遺物となったことが物語っているように、英語の教材もガラリと様変わりしました。耳からネイティブの英語を入れて発音する。なるほど、これがナウな英語学習なのでしょう。しかし、私の時代は違った、というと「HEY! またアンクルの昔話がはじまったぜ!」とトムやボブに揶揄されるやもしれませんが、少しばかりお付き合いください。
九〇年代後半、私が使用した公文の英語教材は、それこそ文法事項をがっちり固めてゆく王道スタイルのものでした。それこそ書かせる量も半端ではなく、一日分五枚ひと綴りの宿題を終わらせるのもなかなか骨が折れました。何といっても極めつけは、英語の例文の上に網掛けがしてあって、そこへ「アイ ハブ ア ペンシル」と片っ端から読み仮名をふっていく仕様でした。これが面倒なの何なの…、今思えば採点する方だって、子供の書いた小さい仮名をひとつひとつ点検せねばならないのですから、かなりヘビーな部類の仕事だったことでしょう。されどこの鍛錬のおかげで、プリントに登場した単語で読めないものはありませんでしたし、気が付けばアルファベットからだいたいの発音を推測することもできるようになっていました。このごろの特に小さい生徒諸君が、アルファベットをガン無視してあり得ない発音をしているのは、たいへんに気になるところです。(英語は暗記教材に成り下がったのかしら?)
また、文法事項の充実という点でも、この教材はやはりタダモノではなく、そんじょそこらの中学参考書なんかよりもよっぽど分かりやすいものでした。最近の中学生が使っている英語の教科書を見ても、「今、学校でどこやってるの?」と聞いても、文法事項に関する捗々しい応えは返ってきません。せいぜい小首を傾げつつ「ユニット、5?」なんて言われても、およそ見当がつかないし、学習している本人たちだって、メインの文法的な出し物を把握できていないことがしばしばです。今の教材でGの壁を難なく突破できる人だとか、例の「ピッ」とするペンシルで英語を聞いて音読して、なんとなくでもその文法の骨子を掴める人ならまだしも、最近のエイゴは右も左もわからない初学者にとって寧ろ、えらく厳しいものになった、と感じる今日このごろです。