かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

塾生心得 明日の学問のために 前編

 なぜ勉強しなければならないのか、なぜテストで良い成績を取らなければいけないのか、どうして上のレベルの高校や大学を目指さなければならないのか――。学生ならば誰しも一度は、こうした疑問にぶち当ってぐるぐる苦悩した夜があるかと思います。
 落語の小噺(こばなし)に、こんな親子の問答があります。ぐうたらな息子にその親父さんが「勉強しろ、勉強」と迫ると「勉強したらどうなるんだ?」と息子。「勉強したら良い大学に入れる。」「良い大学に入ったらどうなるんだ?」「良い会社に入れる。」「良い会社に入ったらどうなるんだ?」「たっぷり退職金がもらえて、老後は家でごろごろできる。」すると息子が「じゃあ、はじめからごろごろしてた方がいいや。」と痛いところを突きます。
 確かに、遠い将来それも自分が齢を重ねてからごろごろするために、いま苦労して勉強をするのなら、結局勉強したところで仕方がないという結論になってしまいます。しかし、この親子の議論には一つ大きな見落としがあるのです。
 およそ、この会話の中では《勉強=就職の道具》という捉え方がされています。こうした勉強に対する見方は、現代の日本社会の問題と言ってもよいでしょう。つまりこれは、満足のいく就職さえできればいままでの勉強も、大学で卒論まで書いた学問なぞ最早どうだってよい、という考え方なのです。
 もっと言えば、私たちがこれから生きていく上では、買い物をするに及び、せいぜい小学校で習う足し算や引き算を使い、確定申告をしたり、ピザを等分するに及んでは、かけ算割り算くらいで事足りてしまうわけで…。そしてそれ以外に学校で詰め込まれた知識や内容は、受験の瞬間までぎりぎり保っておけば、あとはイチ、二のポカンで忘れても大丈夫! というのが現代を生きる多くの学生と、彼らを取り巻くオトナ達がおちいっている傾向なのではないでしょうか。(次回へ続く)

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