三人寄ればナンとやら。
そんなに早く教室に来るんじゃない、と言っているのに開室前のロッカーの上に学校の宿題を並べてやいのやいのとやっている。ここで宿題を片付けてしまえば、お家に帰ってあとはウハウハなのだ。そんな魂胆が丸見えになっているけれど、折からの春めいてきた陽光が待合室をぽかぽかと暖めて、彼らの顔はリンゴみたいに上気している。遠目から見れば彼らはさながら、清談の宴に興ずる人々みたようでもある。
「うえェ、わがんねぇ。」「え? 何問目のやつ?」「アッ、それ、おれもわかんねぇ。」「あれ? おまえ答え書けてんじゃん。」「まあ、そうだけどさぁ、ちょっと自信ないかもなんだよなぁ。」「いいよ、それでイイんだって!」「ハヤク教えてけれ。」「わがんねぇー。」「んー、やっぱりあいつ来るまで待ってみた方がいいよ。」「んだナ!」「えー、そうかよー。あってるって、それでさぁ。」「あいつ、まだ来ねえのかよ。」「図書室掃除じゃね?」「うわー、図書室かよ。まだまだかかんじゃん。」「あ、あそこ歩いてんの…」「あれ? 来たんじゃね?」「よっしゃ!」「救いのカミよ!」(ト、一同玄関へ駆け寄る。)
気持ちは分かるのだけれど、玄関で助っ人を取り囲んだところで仕様がない。彼女は掃除をし終えて、ようやく公文の教室に到着したところなのであって、帰りの会で渡された宿題になど、未だお目にかかってすらいないはずなのだから。公文の前に、少なくとも一息つきたいところへもってきて、ロッカー談義の面々にかくもせっつかれては、よほど煩わしかろう。そんな感じで私は、人知れず助っ人の彼女に同情していたのであるが、果たしてそれがそうでもないのである。
「え? どこ分かんないの? まずカバン置くから、そしたら見せて。」と、これが満更でもなさそうなのである。「うえェ、わがんねぇ。」を、待合室の硝子戸の向こうから面白がって眺めている私なんぞより、いまロッカーの上で問題の講釈をはじめたあの子の方が、よっぽど教育者らしくて頭の下がる思いすらしてくる。