かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

私と公文式(9) 母、開設する

 「ボクはフツーに公文がやりたいんだけどなあ。」という不思議な感慨を抱く少年は、週二回おじいさんの車に乗せられて、わざわざ隣町の公文教室に通うことになりました。小学校の高学年あたりになって、突如私の母が公文の先生をすることになったのです。採点スタッフのパートで応募したつもりが、うっかり公文のインストラクター募集に申し込んでしまった、というのが事の始まりなわけで。
 いやはや、当時の私にとってこれはいい迷惑で、幼いころから通いなれた教室を離れることもイヤであるし、教室で公文のセンセーをやっているの母の姿を見るのもなかなかどうして、照れくさいものがありました。ですが、実のところ一番残念でならなかったのは、公文の教室へ通うということ自体の楽しみがなくなるところにありました。教材をどんどん先に進める喜びとか、勉強が出来るようになっていく達成感とか、そんな王道的な動機づけを差し置いて、私の楽しみはあの古くて今にも風で吹っ飛びそうな教室へ通うことにありました。週に二回、いつもとちがう通学路を帰って教室へ通うスペシャルな気分を味わうことは、やはり公文式を続ける上での大事なモチベーションの一つだったのです。
 そして、自分の母親が公文の先生になるということは、子供の身にとってみれば、かなり厄介なことが多々ありました。今日やった宿題を即日採点されるは、以前はスルーされていた途中式を見られてめんどくさいことを言われるはで、ゲームの時間がジリジリ削られる憂き目にあう度、「ボクはフツーに公文が…」とうそぶいては、変わらず中新田の教室に通っている友達を羨んだりしていました。
 一学習者の立場から、急に楽屋裏の人間になった気分、とでも形容すればよいのでしょうか。ですから、今でも私は教室に通ってくる子供たちが持っている特有の緊張感を、いいなあと思ってしまうのです。家庭でも学校でもない、公文の教室という場所で勉強するスペシャル感を彼等は多かれ少なかれ持っているのだと思うにつけ、今では大いに楽屋裏の人間となった自分は羨望の念を禁じ得ないのです。

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