かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

定点観測(9) 失われた店を求めて

 「これ、ナニ屋さん?」
 先刻まで順調に国語の教材を解き進めていた子が、こんなの知らないンですけど、という顔で尋ねるので、あやしがりて寄りてみるに、小さな指が八百屋さんのイラストを指して止まっている。答えを書く空欄には、実に自信なげな文字で「やさいやさん」の文字。なるほど、「はなや」「さかなや」のノリで書いてみたのだろうが、あまりに耳慣れぬ響きに当惑してヘルプを求めてきたとみえる。
 これは無理もない。およそ今この教室に座っている子供たちの誰一人、八百屋さんへ行ったことがないのだ。彼らが行くのはせいぜいスーパーの野菜売り場であり、その流れでいくと魚屋も肉屋もだいぶあやしくなってくる。この間などは、またプリントの「せんぬき」について尋ねられ、危うく「プロレスの…」と、喉元まで出かかったのを押しとどめて「瓶の蓋を開けるやつだ」と答えたところ、「ああ、ビールのふたをあけるやつね。」と、ひとりで納得した様子。これには流石に一本取られた。
 赤ペンを持つほうも、教材を作るほうも当たり前だと思っていたことが、最近は当たり前ではなくなってきている。今ぢゃもう死語だから、そんな問題なくしてしまうのがよろしい、という意見もあるかと思う。確かにゴモットモではあるけれど、それでは些かさびしいではないか。
 せめて自分の目の黒いうちは、別に使うアテもないかも知れないけれど、馴染みの言葉には生きていてほしい。もしかすると遠い将来、出しぬけに「八百屋のブタゴリラがさあ」と語りだした時に、自分の孫か何かに「ヤオヤ? 何を奇妙キテレツなことを言ってンすか?」という顔をされたら実に荒涼たる感じになるだろうから。

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