かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

軍隊学校之記(5) ハロー・文学

 高校を卒業してしばらくは、鳴子の温泉へつかりに行くのになぜかしらん、心がうきうきしてこなくて困りました。国道47号。この道をあの鉢巻して五十キロに及ぶ行軍訓練をしたのです。目的は精神鍛錬。あまりの苦しさから江合にかかる橋の欄干に取りすがり「ボクはもうここから飛び降りるから君は先に行け」と涙ぐんだ旧友の顔が思い出されて、クツクツと笑いが込み上げてしまう。普段机に釘付けにされて生活しているのだから無理もありません。当時の『五十キロ強歩感想文集』には、その朝駐車場に転がっていた断末魔の芋虫に、この友人の姿を重ねつつ、精神鍛錬のアナクロニズムを批判した感想(?)を掲載したりしていましたが、私にとってはこんなことがちょっとした息抜きだったりしたのです。
 息抜きと言えば、とにかく本を読みました。とてもではないがゲームなんぞしている余裕はありません。スイッチを入れようものなら、この一時のあいだにライバルに水をあけられてしまいそうな気がする。これがいわゆる強迫観念というやつで、奨学生である以上、成績を落としてはならぬという大関ルールが、幸か不幸か殊更に勉強せざるをえない環境を作り出したと言えるでしょう。
 そんな中で、読書ばかりは罪悪感フリーな息抜きでありました。谷崎、太宰、安吾に芥川や三島が提供してくれる精神の個室に籠るうちは、不思議とあの強迫から自由で、寧ろそうしていることが自分にとって絶対の栄養になるのだ、というヘンな確信がありました。このお付き合いが嵩じて今じゃ腐れ縁、殊に谷崎文学にいたっては修士論文まで執筆することになったずぶずぶのカンケイ。こうなったのもやはり高校時代の「痴人の愛」との出会いであり、物理学に憧れた青年は「ナオミ」にたぶらかされて文系の道をひた走ることになったわけで……。さはれあの新潮社文庫で出していた谷崎の真っ赤な装丁には、何か秘密の世界を覗き見るようなあやしい気分を起こさせる、言い知れぬ魔力がありました。
 あの時からずっと、そんなもの読んでどうするんだ、という書物を朋として今に至ります。その本を読んで何の意味があるのか、いつ役に立つかなんて一向に分かりませんが、取りあえずその時の自分が「ゆかし」と感じた本を読むスタンスは変わりません。こうして頭も尻尾もないようなものを書いている今だって意外と、いつか摂取した本の栄養がエネルギーになっていたりするのやも知れません。