かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

塾生心得 「効率厨」のすゝめ 前編

 みなさんは「効率厨」という言葉をご存じでしょうか。これは主にオンラインゲームなどのマルチプレイにおいて、最大級の効率を求めようとするあまり、他のプレーヤーの顰蹙を買う類いの人々を指す用語です。ゲームに精神の個室を求める私は、三十年来のぼっちプレイを善しとするわけで、実際にこうした類いの方に出会ったことはないのですが、まあその気持ちも分からないことはありません。

 クエストの周回効率をあげたり、経験値獲得の効率化を図ることは、ゲーム攻略という目的を達成する有効な手段であり、たいへんにスマートなやり方に違いありません。しかしながら、これを人に押しつけるというのは、ゲーマーとして如何なものか。そぞろ歩きのようにゲームを楽しみたい人に、効率重視という偏った価値観を押しつけるのはかなり酷な話です。

 さて、と話頭を転じるに及び、まずは私が「効率厨」という用語に思い至った経緯を語らねばなりますまい。それは先日私がある中学生の「自主勉帳」を見て度肝を抜かれたことがきっかけでした。見開きのノートをびっしり埋め尽くした英単語、これを書いた本人はやってやったぜ的なくったくのない笑顔で「これ、めっちゃ大変でした!」と言うものだから、流石に私もご苦労様としか言えない。すると勝手にヒーローインタビューをし出した彼が、どうして聞き捨てならないことを言ったのです。

 「なんか、もう最後の方とか? 何の英単語書いてンだか分かんないし、意識モーローとするし(笑)」これは最早勉強ではありません。写経です。書いているという意識をなくすまで経典を書き写し、そこに仏様の心を感じるのが写経だとすれば、勉強とはまさにその彼岸にあるものなのです。そんなにして英語の心を感じたいのであれば、流行り病が収まった後でアメリカへ行くなりしたほうがよっぽど良いわけで。

 つまるところ勉強しているはずの自分が、何を書いているのか分からなくなった時点で、学び的にはゲームオーバーなのです。そして何より、そもそもこんな非効率的学習法が令和の世にまだ生き残っていたことに、私はたいへん当惑してしまったものでした。(次回へ続く。)

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