かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

軍隊学校之記(7) イモとガリバー

 そういえばうちの学校にはもうひとつ軍隊が常駐していました。向こうはこっちを「イモ」とか「ガリ勉」と呼び、こっちは向こうを「女ガリバー」とか「アッコさん」と揶揄する間柄でした。彼女たちは新しくて立派な方の体育館を根城にしていて、朝昼晩にわたりベチン、ベチンとバレーボールを叩いて生活していました。

 こちとら体育の時間を除いて移動教室などというものもなく、ほとんど一日教室へ軟禁状態。そんなわけですから、せいぜい出くわすのは自販機の前くらいで、およそハートフルな交流なんてものもありません。

 しかし年に一度、この両軍隊が相まみえる機会がありました。県総体の決勝はマンネリのカードで、仙台育英が性懲りもなくやられにくる。私たちが駆り出されるのは、このゲームの応援で、なぜそんな役回りになるかというと、ひとえに扱いやすいからで…。この軍隊は世紀末風のチェーンを腰から垂らしておらぬし、頭もツンツンしていないし、教官の命令には絶対に服従であるから、単語帳片手にバスへ乗り込んでお利口さんに県立体育館へ輸送されてゆくのです。

 アタックが成功した時、相手方のミスで得点した時、ブロックが決まった時、その他様々な応援アクションがあるのですが、日ごろから猛烈な量の暗記をさせられているものだから、そんなのはお手の物。試合の前日、コロリと態度を変えたバレー部員に教え込まれた通り応援歌を熱唱したり、真顔でジャンプしたりする。つまりイジョーな奴らがイジョーな奴らの応援をしているわけなのです。さはれその分授業はないし、どうせ勝つ試合を見に行くのだし、どちらかと言えば気楽なものだったことは確かです。

 勝って当たり前。バレーをするため、将来バレーで食っていくためにこの人々は全国津々浦々から集められ、親元を離れて寮に入ったり、下宿などしながら勝負の世界に生きている。多感な青春の貴重な三年間を捧げてこの退っ引きならないところで戦っているという点において、水と油みたいな二つの軍隊は少うし通ずるところがあったのやも知れません。

 「イモ」はせっせと根蔓を伸ばし、「ガリバー」は一センチでも高くと伸び上がる。生半可なことは一切彼らの栄養にならなかったこともまた、どうやら確かなようです。

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