かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

私と公文式(14) 麦塾の夏休み

 私が通った大学は毎年、大規模な人数が前期と後期に分かれてぞろぞろ教育実習へ行くので、とにかく夏休みが長かったのです。ですからその間は、蒸し風呂みたいな東京をすたこら離れて、秋風がだいぶ冷たくなるまで帰省していました。もちろんぶらぶらばかりしてもいられないし、第一ぶらぶらする所がないわけですから、週四で母の教室にかり出されることになるのでした。

 すると久しぶりに会った公文少年たちが、少うし大きくなっていて、真っ黒けに日焼けしているのではじめは誰だか分かりません。向こうも、オヤ? という顔をして寄ってきて、ニヤニヤしながら近くへ座る。そんなのが二人来て、三人来て、気がつくとお馴染みの野郎たちが集って、「わがんねー」とか「お前、まだそんなトコやってんのかよ」とか好き放題言いながら、やいのやいのとやっている。

 若かりし私も、学生気分から一緒になって盛り上がるものだから、母に「うっせど!」と叱られて一同肩を竦めて机上の仕事にとりかかる、なんてことが茶飯事でした。この風景をして母が、公文の教材にあった『キャプテンはつらいぜ』の「麦塾」みたいだ、と笑っていたのを覚えていますが、確かにそんなうち解けた雰囲気であったような気もします。

 いつぞやは、私が読みさして置いていた本を、真っ黒ボーイの一人がぺらぺらめくって、ある一枚の資料写真をじっと見つめていたことがありました。ジョルジュ・バタイユの『エロティシズム』だったか、民俗学関係のものだったか定かではありませんが、その写真は男根を象った崇拝対象の石を撮影したものでした。

 「これ、ち○こ?」と聞かれたので、そうだと答えると満面の笑みで隣の少年に紹介しにかかるから、「これ、止さぬか!」なんてやっているうちに、また怒られて・・・。とかく学習しないオトナと子供たちの、アホだけれど微笑ましいひとときでした。

 ちなみに、例の本をめくっていた少年は、これ以降毎回私の持参する本をチェックするようになり、それがきっかけかは知りませんが、滅多に読まなかった本を読み出すようになって、後年「俺は国語で大学に入れた」と語ったのだそうな。

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