かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

塾生心得 英語がワカンナイ 後編

  英語学習における鬼門として、先に挙げたのが語彙力不足の問題でした。それにつづいて第二の問題となるのが、文法に対する認識の甘さです。

 私は元々公文式で英語のいろはを学びましたが、昔の公文の英語は徹底した文法主義を打ち出していました。おかげさまで英語もまた数学と同様に、文法というルールさえ掴んでしまえば大丈夫、という自信がついたものでした。

 一方、昨今みなさんの使用している英語の教科書は「Unit」なるもので単元が分けられていますが、初めて登場する文法事項などは端っこの方にちょこっと太字で記載されているくらいにして、悪く言えば本文の「ついで」に覚えよう的なノリであることが、どうにも釈然としない印象を与えます。ここのところを、みなさんはちゃんと読んで、理解しようとしているでしょうか?

 「今日の英語で、どんなことを習った?」と尋ねても明確な返答がないということは、結局のところ一時間ふわふわと英語の授業を聞いて、どれが要点であるのだか、どれが覚えねばならない事項であるのか判然としなかったということです。

 文法は後で覚えるようにして、コミュニケーションに重きを置く、というのが現在の英語教育の方針であるのかどうだか、私は知りたい気もしませんが、単語と同時にとにかく文法を頭に入れないことには、英語を読むことも、それを使って何かを表現することも出来ませんし、そもそも共通テストのあの長くて大量の英文を攻略することだってかないません。

 どれが主語で、どれが動詞で、そしてこの文法を使っているから云々、という捉え方が出来ない限り、まず以て英語で点を稼ぐことは出来ないでしょうし、英語という言語を学ぶ意義もないでしょう。「Unit」を学ぶために英語をやっているのではありません。みなさんは飽くまでひとつの言語を学んでいるのです。ですからわれわれは、まずその言葉を知り、しかる後にその使い方としての文法を正確に理解しなければならないのです。

 そうまでしてなぜ英語を学ぶのか、私も誰かに聞いてみたい気がします。けれども日本語しか知らないわれわれが、英語にしかない表現を学び、それに刺激されたり読書の幅を広げたり、英語圏ならではの文化にアクセスすることが可能になったり・・・語学とはそうした〈外〉について知る経験を通して、自分たちの文化を見つめるきっかけを与えてくれるものだと私は思います。

 英語とのお付き合いをはじめたみなさんは、テストの点を稼ぐなんていう小手先の技術に拘る前に、まずはその言葉(単語)を覚え、その使い方(文法)を覚えることからはじめるべきなのです。古典的な学習法だと言われるやも知れませんが、これは外ならぬ私たちが辿ってきたみちのりではありませんか。

 そう、それはあたかも私たちが、私たちの母国語を習得していった時のように。