「子供と相談して来ます」はだいたい「やりません」という意味である。二度も三度も体験学習をしておいて、今回もまた「まだこの子には早いので」という感じでフラれると流石に萎える。
まあ、それは体の良い断り文句なのだろうが、これをホントに相談しているとしたら、四、五才の子供と一体どんな相談をするのだろうか。一度聞いてみたいものである。
子供の意見を尊重しよう、という風潮はしばらく前からあるけれど、「大変だからやらない」を真に受けて、いつまでもそれを尊重し続けるというのはどうなのだろうか。はたしてそれは子供の為と言えるのだろうか。
こちとら「小学校に入る前に出来ることを増やして、学習量を確保した方がよい」ということを噛んで含めて説明しているのだけれど、なかなかそれを分かってもらえない。「学習量」とは、勉強する体力のようなものである。そうしたキャパシティが大きくない子供は、必ず後になって苦労するし、その伸び代も高が知れてしまう。
「小学校に入ったらお勉強を頑張る」では二手も三手も後手に回って、学校から帰ったら既にヘロヘロ。宿題をなんとかこなすのが精一杯、そこへプラスαで学力の積み立てをしようなんて、とてもでないがキャパオーバーである。
じいちゃん、ばあちゃんが「まだ小さいのに、そんなに勉強させたら可哀想だ」と懸念を示すやも知れないけれど、小さい今だからこそやる意味があるし、キャパを増やせる余裕があるのだ。
親たるもの「子供と相談する」前に、ホントに自分の子供に勉強をさせたいのなら「うん! やりたい!」となるように仕向けるのが腕の見せ所ではなかろうか。そしてそれが、あくまで遊びの延長であるかのようにプロデュースしてやることで、子供のキャパシティは自然と大きくなるものである。