公文の算数・数学がどんなものであるか、こればっかりは、一度やってみた人でないと分かるものではありません。
裏を返せば、一度やってみれば分かる。良い意味でそのヤバさが分かるかと思います。
キーワードは「バグる」。
誤解をおそれずに言えば、公文の算数はうまいこと学習者をバグらせるように出来ている、というのが長年これと付き合ってきた私の感想です。
「いやいや、学習者をバグらせてどうすんだよ」
と、ツッコミを入れられるのも、無理はありません。
出来ることならスマートに、回り道や反復を極力抑えて、効率的に基礎計算をマスターしたい、と思うのは当然のことです。
しかし、こと基礎計算においては、そうした方策を取って学習するより、公文式で二度三度学習した方がよっぽど習熟と定着が早い、と言わざるを得ません。
「かたつむり学舎」を開いた当初、何人かそうした基礎計算が不十分な生徒を指導したことがありましたが、いくら最短ルートで教えても定着が甘いのには泣かされました。
現在は、そうした生徒さんには母と妻の教室で修行をしてから出直してもらっているわけですが、やはり公文畑から出た子は、とにかく計算が強くて指導のし甲斐があります。
いやはや、かつては私も公文の算数には、とんでもなく泣かされたものです。例題を見てルールを理解したつもりで、スイスイ解き進んでいると、ガツンと鉛筆が止まる。
突然の変化球や、忘れた頃に抜き打ちで登場する一つ前の型の計算・・・。なんとかこれをヘンな工夫で解いて次に進むのですが、あの一撃のせいで何だか自信がなくなって、ひょっとすると全部間違えているのじゃないか、と疑う自分がいます。
そして試行錯誤の悪戦苦闘を通して、結局のところ「バグる」わけですが、そうして彷徨いながら二回、三回と復習するうちに、どうしたことか今度はそれを、何の苦もなく解いている自分がいるのです。
これは非常に奇妙なことですが、自然と頭の整理がつくというか、ある日ふと「なんだ、そんなことか」と妙に腑に落ちる瞬間がありました。まさに、バグったのが解消されるのです。
そしてそのバグが、応にして例題に示された解法の、重要なエッセンスを掴みそこねたのに起因していたことに気づいたのは、恥ずかしながらオトナになってからのことで。
公文が狙ってそうしているのかどうかは、分かりませんが、今なお私は子供達がかじり付くプリントの問題配列を見ては、「おっ、ここで一回バグるかもしれんぞ」とニヤニヤしています。
鉛筆がガツン、と止まって、彼らの脳みそが遮二無二廻ってあれやこれやを模索する。例題を二度見、三度見して、「?」マークを大量生産しながら、子供たちは今日も紆余曲折という名の近道を歩んでいるのです。