「あ、なんかぁ、」が彼の口癖である。
話頭にいつも「あ、なんかぁ」が来てから、本題がはじまるというのが彼のルーティーンなのである。
彼をこの机から観測し始めて、早くも三年目になるけれど、最近はずいぶんと目鼻立ちもキリッとして、「あ、なんかぁ」に続く本題も簡潔明快になった。
私と妻がこの教室をはじめた頃、彼はきまって一番乗りでやってくるにも拘わらず、帰るのは五番六番乗りが既に帰宅した後であった。
それもそのはず、ぽけーっと虚空を仰いでいたかと思えば今度はこっくりこっくり居眠りをはじめる始末。月二回は宿題を置いてきぼりにしてきて、例の口癖がはじまる。
「あ、なんかぁ、かばんに? 宿題、入ってなくてぇ、」と切り出されるから、私も次の言葉を心待ちにしているのだが、待っていても何も出てこない。
話イズ、オーバー。哀しいけれど、彼の伝達事項は以上なのであり、「それで?」と尋ねたところでキリがないから、終わりにしていたわけであるが、最近の彼はまさに、彼は昔の彼ならず、一皮むけた感じがするのである。
「あ、なんかぁ・・・ウチにやった宿題を置いてきてしまいました。だから、今度の宿題と一緒に持ってきます。」何とステキな簡潔さであろうか。成長した子供はきまって、話の論理展開が明快になる。それは日々の鍛錬によって、彼らの頭がすっきりと整理されたことによるのだろう。
だが、そんな彼の成長を語る上で忘れてはならないのが、そのご母堂の存在である。子供に寄り添い、陰日向となって支える姿勢は、メールのやりとりの端々にも、ちゃんとにじみ出ている。
とりわけ印象深かったのは、彼が初めての漢字検定試験を受けた時のこと。少し背伸びした級を受験することを決意した日から、親子二人三脚でその攻略に乗り出し、無事に合格を勝ち取ったわけであるが、その試験後の一幕である。
茹で蛸みたいになって、試験会場の教室を後にする彼が、ちゃんとお迎えの車を見つけられるか、窓の外から見守っていると、タイミング良くご母堂が出てこられた。ほっとしたように顔を見合わせる両者、ご母堂がおもむろに右手を少し高めの位置に掲げるや、彼が嬉しそうにぴょんとはねた。
ハイタッチである。それがこれまで見た中で、もっとも微笑ましい、「あ、なんか、いいなぁ」と思わせるハイタッチであったことは言うまでもない。