かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

蝸牛独読(3) ひなたと英語

 「英語」もとい外国語学習の本質が、互いに離れたものとしてある文化を橋渡しすることにあるのを再認識させてくれるのが、三人目のヒロイン「ひなた」でしょう。

 まさに典型的な「ちびまる子ちゃん」タイプの幼少期を過ごした彼女は、ぶらぶらしているけれど子煩悩な父錠一郎と、母「るい」の愛情を受けて成長します。夏休みの宿題を最終日までため込んだり、何をやっても飽きっぽい彼女の「英語」との出会いは、ステキな外人の少年に一目惚れしたことがきっかけでありました。

 しかしながら、どうにもそれが持続しない、というのが彼女の特徴。淡い恋心が破れた後は、「英語」とはおよそ無縁な時代劇の世界へと、彼女は入り込んでいくわけですが、まさに彼女の真価というべきものが発揮されるのはここから。

 「カムカムエブリバディ」というテクストにおいて、ひなたは〈媒介者〉としての役割を果たす存在であると私は考えます。媒介者とは、互いに隔てられた領域のあいだを取り持ち、結びつける仲立ち的な存在を指します。

 もし彼女がいなかったら、このテクストは第一部と第二部のあいだで断絶した母子の物語、及び家族の物語を修復することが出来なかったことでしょう。行方知れずの大叔父「算太」や、祖母「安子」と「るい」の結びつきを再構築するきっかけを作るのは、いつも「ひなた」でありました。

 ひなたが「モモケンさん」に回転焼きを手渡したことで、巡り巡って算太は「るい」の所在を発見しました。また、安子はひなたと出会ったからこそ、娘との決定的な断絶を修復することができたわけです。この点で彼女は家族の物語における断絶を、その仲立ち的な役回りによって解消へ導いたと言えるでしょう。

 そして何より、社会人になった後の彼女が、再び奮起して習得した「英語」は、自閉したまま廃れるかに見えた時代劇を、海外そしてハリウッドという全く予想だにしなかった領域へと開くことに一役も二役も買うことになります。

 「時代劇を救ってくれ」という虚無蔵の言葉の通り、「英語」という武器を手に入れた彼女はまさに、互いに離れた文化を橋渡しする存在として機能することによって〈媒介者〉としての本領を発揮したのです。

 以上、三回にわたって読みを進めて参りました通り、「カムカムエブリバディ」というテクストにおける「英語」は、
①「思いもかけないところへ連れて行ってくれる」ものとして
➁大切な人と心を通わせる貴重なツールとして
③互いに離れた文化を橋渡しする媒介として
それぞれのヒロインの物語を通して、その要素が提出されていたことが分かります。

 そして、これらの要素はいずれも言語学習の本質をわれわれに教えてくれる、いや思いださせてくれるものであるように思います。
 
katatumurinoblog.hatenablog.com
katatumurinoblog.hatenablog.com