かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

軍隊学校之記(10) バンキシャ!

 校門前で囲み取材を受けた同級生の、悲鳴にも似たテンパり声が全県に放映されたのは、暮れも近い高三の冬のことでありました。

 一体何をやらかしたのか、と申しますと、トンデモナイ時数の未履修を、テレビにすっぱ抜かれたのです。センター試験も目前に迫る中、急遽催された学年集会で「これから皆さんは、未履修分の書道や家庭科、情報の授業を受けていただくことになりました。」と言われても、何を今さら感が半端じゃない。

 昨日まで「寸暇を惜しんで!」と人々に渇を入れまくっていた教官連中もみながら青菜に塩。なにせ七百時間を超える未履修時間数は全国トップと報じられ、ここぞという受験の追い込み時期に、心を澄まして墨をするなんて、およそ狂気の沙汰というものでした。

 そうです、かつての軍隊学校の時間割には体育こそあれ、受験で使う以外の教科は一つも存在しなかったのです。そんなことは入学する前から知っていましたし、受験に集中するにはもってこいだ、くらいにしか思っていませんでした。

 私の先輩たちも、そのもっと上の先輩たちだって同じことをしてきたわけなのに、なんでよりによって私たちの代でそんな爆弾が炸裂せねばならないのか、当時はたいへんな不条理を感じましたが、天網恢々疎にして漏らさず、イケナイことは必ずどこかでバレて割を食うのであります。

 校長先生は辞職に追い込まれ、書道用に筆ペンが配られたり、始めてパソコン室に入ったり、なんだか受験に向けたモチベーションも何もかも、うやむやになっていくようで、イヤにふわふわした心持ちの日々でした。

 先日、十数年の時を経て発見された卒業文集には、当時の如何ともしがたい低気圧の痕跡と、学校に対する恨み節が散見され、大いに同情を禁じ得ないとともに、ついつい吹き出してしまいました。

 「やっぱり、ズルはしないほうがいいと思いました。」(「一人ひと言」より引用)

 至極、ごもっとも。ドンパチにだって国際法というルールはあるのです。だから、突飛なことをするにしても、飽くまでルールの中で、その限界ギリギリのラインを見極めて実行しなければダメなのです。

 私を含めたかつての軍隊学校卒業生が、骨身にしみて学習したのはそういうこと、そして今ひとつは、いかに懸命に生きていても不条理はけっこう至る所に転がっている、ということでした。

katatumurinoblog.hatenablog.com