かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

些事放談 オレ達ファースト

 六月はサツキの季節である。

 各地で展示会が開催され、愛好家たちが丹精込めて育てたサツキが絢爛たる花を誇り合う。

 しかしながら、これを人間がウチワで誇り合っていてもあまり面白いことはない。

 というのも、それは先日近隣の町の愛好家たちでする展示を見物に行った時のこと。

 こじんまりした多目的ホールに、色とりどりのサツキが並んでいる。幹周りもなかなかなものが揃っているし、私が盆栽を習った恩人の展示は取り分けて素晴らしいものがあった。

 一年で一度の花期、妻としてその一鉢ひと鉢をゆっくり見て回るわけであるが、どうも素直にそれを愉しめない自分がある。

 控えめに言っても、店番をしている愛好家のおじさま方の好き勝手な談笑が、先ず以て鑑賞の障りとなることこの上ない。ウチワの仲間同士で声高に大笑いされると、ただでさえ天井の低い展示室いっぱいに反響して、お客の私たちは猛烈なアウェー感と、不快感を味わねばならぬのである。

 まあ、同好の士が集まれば、サツキのみならず盆栽談義にも花は咲くもの。同じ愛好家として、お客そっちのけで盛り上がってしまいたくなる気持ちも分かる。

 だからガマンしながらしばらく観ていたけれど、太っちょのおじさんが実に高慢ちきな態度でもって、近隣の盆栽会の展示にケチを付け始めると、周りのおっさん達もそれに同調して「ウチはプロがいるしさぁ」とか「こんな樹は他んとこじゃねぇよ」とか言い騒ぐ始末。

 私が隣町の盆栽会に所属していようが、いまいが関係なく、こればっかりはイタダケナかった。そんな態度は、展示品の前に無造作に捨て置かれたあんパンの包みに全て表れているというもの。

 結局ここには、作品を見てくれる他者というものが想定されてはいないのだ。どこまで行ってもウチワの世界。まさにオレ達ファーストである。

 愛好家がなぜ展示会をするのか、それを彼らはどうにも失念してしまっているらしい。「オレの樹を見ろ」なんて態度では、折角興味を持ってやってきたお客さんも「わあ、すごい」で終わってしまう。これでは愛好家の独りよがりの、オナニー的展示会ではないか。

 大事なのは、「わぁ、すごい」から「どうやって樹をつくるの?」とか「私にも出来るかしら」というトキメキを、見てくれた人の心に醸成することなのではないのか。さもなくば、盆栽という文化は一部の、こうした閑人の閉鎖的趣味として、時代からフェードアウトを余儀なくされることだろう。

 「見せる」のではなく、「見ていただく」のである。展示会は自分たちの達成を確認し、新たな課題を発見する契機となるものであると同時に、わが国が育んできた文化に、たとえ僅かでも寄与するものでなければならない。

 とかく、オレ達ファーストな、他者不在の空間では何も始まらないのである。