やはり、子供を前にしたオトナは、余裕があるのに越したことはありません。たとえ余裕がなくたって、「ほっほっほ」とヨユーをかましているくらいが、丁度よいのでしょう。
教室の仕事がひどく立て込んでいた頃は、まるで修羅の形相で大量のプリントを一人して捌いていたものですが、今では心強いスタッフのおかげで、余裕のあるオトナをやらせてもらっている次第で。
ニヤニヤしている子をつついてみたり、調子の良さそうな子にインタビューしてみたり。ホントは忙しいのだけれど、何かと机の間をほっつき歩いているわけです。そのせいか、彼らも問わず語りに、今日の一押しの話などをしてくれるようにもなりました。
子供がそうして語り出すのは、だいたいのぼり調子の時。「おっ、今日のプリントはお初だけど、けっこう楽勝そうだぞ。」なんて気分が上向いて心にゆとりが出来た時には、とにかく語り出したくなるもの。
そんな時にオトナが血相をかえて仕事に忙殺されていては、折角の気分も萎えてしまうというもの。心持ち良く、本日の学習過程を完走するためにも、コーチはゆったり構えていなければならないのです。
それは親とても同じこと。
「ウチの子の学習が遅れているから、とにかく急がなくては」というプレッシャーを感じている親御さんは、当たり前のことではありますが、なり振り構ってもいられず必死になるものです。しかし、必死になるばかりで心の余裕を失ってしまっては、これまた逆効果なのです。
「もっと宿題を出してください」「もっと早く先に進めてください」とは言うものの、かんじんの子供はいっぱいいっぱい。まさにキャパオーバー状態で、集中力も切れぎれ、ミスが嵩んでとてもじゃないけれど、効率的な学習とは言えません。
子供の学習をホントに効率的に進めたいのなら、親は「必死」さを見せつけたり、寧ろ彼らにプレッシャーをかけるマネをしてはならないのです。
ですから、たとえわが子の学習が遅れていようと、そうでなかろうと、親は心に余裕をもって、子供の成長を影ながら支援しつつ、それを長い目で見守る覚悟がなければなりません。
もちろん、子育てのあらゆる過程において、「余裕」なんて実際問題あるはずはないのです。ないのだけれど、子供の前ではせめて「私は余裕であるが、どうかしたかね? ほほほ。」的な態度でデンと構えていないと、彼らはいざという時の逃げ場がなくなってしまいます。
昔好きだった学校の先生がみなそうであったように、子供が好きなのはやっぱり、何でかは知らないけれど、いつもヨユーをかましている、素敵なオトナたちなのです。