学習室の入り口で丁寧にご一礼をされてから、彼女が指定のお席へお座りになります。
本日彼女が学習されるのは白楽天の『重題 香爐峰下、新卜山居、草堂初成、偶題東壁』でございますので、ご質問をされた際につつがなく返答申し上げられるよう、私も予め素読をひとわたりさせていただいた次第で。
さりながら、そうして準備致しておりましても、たいていは事も無げに本文を解釈されてしまうので、これでは私なぞただ単に漢籍を読んで愉しんでいる閑人と変わりがなく、ご教授させていただく分際でありながら、これほど楽をさせていただいてよいものかと、ただただ平身低頭の日々でございます。
いまだ十歳を少し過ぎられたばかりでございますのに今日も彼女は、いわけなき小児がダダなぞ捏ねて騒ぐのもどこ吹く風、ひたすら心をお澄ましになって、深山幽谷に分け入られ、そして「遺愛寺の鐘」の遠い響きをお聴きになっていらっしゃる。
あれは私どもが教室を始めた頃合いでしたでしょうか。
あの頃はまだお小さいこともあって、関係代名詞を用いた修飾の仕組みをご理解なさるのに苦労されて、よくお泣きになっていらっしゃいました。それから、寺田寅彦や小林秀雄の随筆、トーマス・マンから「紫のゆかり」まで、古今東西のありとある文章にふれられて、ご教養を深めて来られた彼女は、最早私などがあれこれと申すまでもなく、言葉の森をご随意に散策されていらっしゃるご様子。
私はそんな彼女が健やかなご才女へとご成長されるお姿を、日々見守らせていただけるだけでも幸いというもの。さて、そんなことを申しているあいだに、彼女が本日の学習をつつがなく終えられたようでございます。
そして彼女は、最後に再び丁寧なご一礼とともに「左様なら」と、教室を後にされるのでございます。