かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

教育雑記帳(17) 『で?』からはじまる

 先日、近隣の公文教室の子達を募って、漢字検定試験を行った際のことです。

 私と妻が試験官をしているところへ、ウチの教室の子供や、他の教室の受験者たちが続々とやってきます。

 面白かったのは、試験の出来の云々ではなくて、子供の受け答えの仕方で、随分はっきりした違いが出たというところでした。

 例えば、時間前に見直しも終わって、中途退出をしたい時に、だいたいの子達は「終わった。」と申し出るのに対して、何とウチの教室の子達は「見直しも終わったので、途中退出をしてもいいですか?」ということを述べるのです。

 試験後、これには流石に、妻と一緒に笑ってしまいました。

 それは何故かというと、私たちが普段の教室でしていることの、ちょっとした成果が確認されたためでありました。

 「消しゴム。」「終わった。」「トイレ。」子供達が投げかけるこうした単語発話に対して、私たちは必ず「それで?」と返すようにしています。

 少なくとも自分の家でない公共の場で、人に物を頼んだり、自分の意志を伝達する場合に、単語を発して事が足りると思ったら、それは大きな間違いです。

 そんなことは、おうちで「ショーユ」とか「リモコン」くらいのレベルで使用するものであって、それを他者に向かって使うというのは、どうにも不躾で、いただけない気がしてならないのです。

 国語教育の主眼は、自分の考えや気持ちを適切に言語化(表現)して伝えることにあったはずではありませんか。だからこそ教育の現場において、短絡的な思考を垂れ流しにするかのような、言葉のやり取りを野放しにして置いてはならないのです。

 言葉を使うことは、よく思考することに外なりません。消しゴムを忘れた自分が、これから他者に働きかけて、何をしたいのか。その目的を達成するためには、何と伝えればよいのか。ここにこそ、思考と不即不離なものとしてある言語活動の一端が開始されるのです。

 このように考えられるようになった時その子供は、アホみたいに「消しゴム。」と唱えて、ステキな未来ばかり期待する子供とは、一線を画すようになるのです。

 「で?」からはじまる教育。私と妻の小さな試みは、ひょんな所でその成果を明らかにしてきている模様です。