大阪の教育行政は、このところ如何ともしがたい下降気流に見舞われて、学校の先生方におかれましては、まことに気の毒なことです。
そんな公教育とは別のところで、大阪といえば公文式発祥の地であります。大阪における公文のシェアは、もちろんこの東北に比べるまでもなく高いものであり、一昔前などは、だいたいの小学生が通っていたというから驚きです。
この辺も「公文へ行くのがあたりまえ」という風潮になってくれれば、とも思うのですが、なかなかそれもキビシイ土地柄。まあ、そんなことを羨んでもこの地に根を下ろしている以上、仕様がないことなのですが、これは「大阪モデル」に倣わねば、と思うところもあるのです。
「大阪モデル」の特徴は、教室に在籍する年齢層の低さにあります。公文=基礎学力ということが広く認知されている大阪では、小さいうちからとりあえず公文に通わせて、小学校のうちに中学教材の修了を目指す、というのがスタンダード。
そして高学年になる頃には、充実した基礎学力を引っ提げて、進学塾と名の付くところへ移り、受験の準備をはじめるのです。だから、自然と教室へ通う子供たちの年齢層も低くなるわけなのです。喩えるならばそれは、将来性のある苗木を育てるのに適した温室、といったところでしょうか。
一方、そんな本場から離れたこの辺りでは、公文式が「駆け込み寺」的なポジションを占めている場合が多々あります。受験も間近であるのに、最早どこの進学塾にも取ってもらえない、小学校中学年辺りから学校の勉強が全く分からなくなった、定期テストで十点しか取れない・・・等々。
こうした基礎学力の不足を補うにあたって、公文式こそまさにうってつけの処方箋なわけですが、公文式=「駆け込み寺」のイメージが定着してしまうのも、やっぱりどうかと思うのです。
それ故に「大阪モデル」は私にとって、たいへん羨ましいものなのです。「小さいうちからとりあえず行かしておく」というイメージが広く定着しさえすれば、後から困って駆け込んでくる人々だって減ることでしょう。
地道に公文で基礎を叩き続けていれば、いずれは、学年を越えた勉強になります。「先取りばかりして何がいいんだ?」と非難する人もありましょうが、先取りしているからこそ、その子の学校生活においても余裕が生まれるのです。
その余裕があってはじめて、今巷で騒がれている「自分で物事を考える子」が育つわけであり、そのゆとりの中で「読書をせよ」と公文式の創始者公文公(とおる)は説いています。
先に教室へ来ていた子供と、後から駆け込んできた子供。その間には基礎学力が生み出す「余裕」という歴然とした差が横たわっているのです。
公教育における「大阪モデル」を容認してはなりませんが、公文教育における「大阪モデル」からわれわれが学ぶことは多いようです。
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