かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

塾生心得 リセットしてよいのは 前編

 前回のゲームの話のついでにもう一点、私が「似姿」とまで称した、勉強とゲームの違いを強いて挙げるとするならば、それは一体何でしょうか。

 ずばり、それは「リセット」してよいか、否かという点なのです。そう、ゲームは「あっ、シクッた。」となったら、バチ消ししてしまえばよいのですが、一方の勉強、学問となるとそんなリセットは断じて許されるものではありません。

 例えば、四則混合や積分などの複雑な計算問題を解いて、残念ながらバツになったとします。さてこの時、皆さんならどうするでしょうか?

 教室へ通い始めたばかりの人は、ここでやおら消しゴムを取り出して、ゴシゴシと自分の計算式や答えを真っ白に「リセット」しがちです。そしてまた気分も新たに、同じ問題を解いて、同じところでケアレスミスをして、同じ答えにたどり着きます。

 ここで、「あれ? さっきと同じになってしまったぞ」と気づけるのなら、まだよいのですが、中にはそれを平然と提出してくるツワモノというか、重傷者があるのには参ってしまいます。

 まあ、直ぐに「リセット」したくなる気持ちも分からなくはありません。私も昔は帰ってきた公文のプリントにゴシゴシと消しゴムをかけていたものです。確かに、消してしまえば今までの間違いが全部チャラになった気がして、気分もまた「リセット」されます。

 そこをわざわざ、既に間違えていることが確定している数式を辿ったり、チマチマ数字を入れ替えたりするのを、正直なところ面倒くさいと感じるのもムリはありません。

 だから「リセット」してしまうのは、単に面倒くさいからという面もあるのでしょうが、こうした人々に欠けているのは、自分がやらかしてしまったミスに向き合う力なのだと私は思うのです。

 それは決して精神論的なものではありません。「あ、間違えた」と分かった瞬間、直ぐさま「リセット」したくなるのは、間違い=無意味というその生徒の価値観に因るものなのです。

 バツを食らった瞬間、彼がここまで積み上げた計算は全て無価値なものとして、顧みる必要のないものへと変貌してしまっているのです。