こう暑くなってくると、どこかの山へでも逃げたくなります。でも岩手山だけは、カンベン願いたく。
と申しますのも、夏と言えば進学コース恒例の「勉強合宿in岩手山」の季節であり、あれから十数年あまりが経過しているというのに、いまなお私は「なんてこった、明日から合宿じゃねぇか」と、かきくらす夢を見せられる始末なのです。
内容は以前にも書きました通り、五泊、六泊と施設へ缶詰にされて勉強しつづけるという、いたってシンプルなもの。キャンプファイヤーもなければ、ちょっとしたレクリエーションもない。
あるとすれば、それは就寝前の順位発表で、そんなものはちっとも面白くも可笑しくもありません。
私は常々、拙ブログにおいても「勉強は効率重視」ということを申し上げているわけですが、合宿の圧倒的な物量作戦には、少なからざる狂気さへ感じる次第です。
脳みそのキャパ的に、一気に詰め込んでも処理落ちしてしまうのが人の常。でもこれは、のべつまくなしに詰め込み続ければ、何かしら残るだろう的な発想というより寧ろ「これだけ勉強しても人は死なない」ということを身をもって学ばせるのが、この合宿であったように思います。
私の記憶に残っているのは、合宿に自分の枕と、手荷物検査を避けるため枕カバーに忍ばせて、こっそり卓上ライトを持ち込んだことです。もちろんライトの持ち込みなど不可。見つかれば没収、携帯電話と間違えられて岩手まで保護者召喚なんてのも、なくはないのが、私たちの時代でありました。
さて、そのライトで私が何をしていたかと申せば、消灯時間後の読書というわけで。確かあの時は司馬遼太郎の「燃えよ剣」にドハマリしておりました。勉強でないことは最早すべてがハッピーで愉しい、そんなバフがかかった上での読書は、まさに蜜の味でした。
夏というに分厚い布団を被って急ごしらえした精神の個室は、ドンパチの最中に見る恋人の手紙よろしく、如何ともしがたい明日を何とかやり切ろうという活力をくれたものでした。