私の妻にもそんな時期があったそうだが、こういう仕事をしていると、やはり高学年くらいの女の子は一度そんな時期を通過するものなのか、と感じることがある。
もしかすると読者のみなさんはご経験があるだろうか。とにかく書く字を「小さくしたい!」と思ったことが。
この間までの字を見慣れていたものだから「え? 何があった?」となる。喩うるならば漱石の原稿。プリントの字よりも小さい、米粒みたいな字がそれこそ細密な縫い取りみたいにして並んでいる。
それが典型的な「小さく書きたい」期のはじまりなのだ。以降、その子のものす字はみながらそんな感じになるわけなのだが、書いてある内容や正答率的には何の問題もない。
寧ろこんな仕事は、イヤでも鉛筆の先に集中せねばならぬわけだから、丁寧にならないはずがないのである。前と比べて解ききるまで多少時間がかかったり、採点する私やスタッフの皆さんの眼が疲れることを除けば、別段これといった不都合はないので、書きたければどうぞと、取り立てて注意したりすることもない。
なにせ、だいたい三ヶ月やそこらで「小さく書きたい」期は自然と終わりをむかえ、以降はほどよいサイズで、美しく読みやすい字がプリントに並び始めるのだ。
ここまで来ればもう、一安心である。字が美しく確かであるということは、頭の機能が素敵に発達していることの証である。
かつてはマスに納めるのがやっとな字を書いていた、あの子やこの子がそんな仕事をするまでになったのか、と思うと実に感慨深いものがある。誰しもが通る道ではないけれど、小さく書きたいお年頃のリトル・レディ達をあたたかく見守ってやりたいものである。