運筆から大学研究過程まで、実に幅広い領域をカバーするのがくもんの教材です。
幼児が方程式を解いたり、小学生が漢籍に親しんだりする光景もまた、くもんではお馴染みさま。
学年の上下に拘わらず、のびのびと教材を進めているうちに「気づいたら、こんなところに来ちゃった」。思えば遠く来たものだ、と子供達がそんなオトナびた感慨を抱くのもムリはありません。
しかし世の中には、教室自体の成績を上げることに躍起になる先生があることも事実です。
子供も承知の上で「ガンガンいこうぜ」の作戦を取るのであれば問題はないのですが、高進度基準を満たす子供を量産したいばかりに、無理矢理進度を上げていく愚かな指導者の話もちらほら。
実力が伴っていないうちに、次から次と教材進度を上げられては、子供だってたまったものではありません。基礎がまだ固まっていない状態で、その上にいったい何を築くことができるというのでしょうか?
大事なのは指導者の見極める力です。
子供の能力にはもちろんバラツキがあり、復習一回でOKな子がいれば、一〇回も二〇回もしてやっと学習内容が定着する子もいます。
教育の難しさとは、そうした子供の能力や特性を見極めた上で、まさにオーダーメイドの方策を取ってやらねばならないところにあります。一人として同じレシピで対応可能な子はない、と思った方がいいのです。
ですから、子供を十把一絡げのようにして「みんなガンガンやらせれば大丈夫!」作戦では、必ずそこからこぼれてしまう子が出てしまうことでしょう。そこを逆手にとって、「うちはガンガンやらせる教室だから」というのをウリにする教室だってあります。
お客さんである親御さんと子供のニーズに合えば、それに越したことはないのでしょうが、これは教育的には実に安直であり、言ってみれば「素人でも出来る」ド三流の教育に他なりません。なにせこの手の人々は、およそ教育の大変な部分を「敢えてやらない」ことを決め込んでいるのですから、開き直りも甚だしいわけです。
さて賢明な読者諸氏はどのような指導者をお選びになるでしょうか?
私だったらおっかなくて、とてもじゃないが自分の子の教育を「素人」にゃ任せられないところですけれど。