ちょいとばかし前に「五郎丸ポーズ」というのが流行りましたが、覚えておいででしょうか?
私はラグビーファンでも何でもないから詳しいことは言えませんが、あれは五郎丸さんがボールを蹴り飛ばす際に自分の体幹を意識するためのルーティーンワークであるそうな。
せいぜい下駄で天気を占うのが関の山である私が、ボールを蹴り飛ばす際になにゆえ体幹が必要であるのかはいまいちピンと来ない。しかしながら、それがある動作をいつも通り正確に行うための習慣であるという点については、大いに納得させられます。
別にそれをしたからと言って、万人が五郎丸さんのようにボールを飛ばせるわけではありません。時間いっぱいになったお相撲さんが身体を拭いたり反ったりする所作も同じ性質のものでしょう。
しかし、どうしてこれはスポーツ界に限った話ではなく、教室に来る子供達にもそれぞれの所作つまりはルーティーンワークがあるのです。
三年、四年と教室に通い続けている子は、まさに貫禄たっぷり。いつもの席に腰掛けて、いつもの順序で宿題を提出し、机上の鉛筆や消しゴムの配置まで万端整えて、いつものように学習をはじめます。そしてまた別の子には、その子なりの流儀があるのです。
もちろん教えたわけでもなんでもありません。何回も通ううちに自然と、そうした習慣が身についたのでしょう。かつては私もそうした公文ルーティーンを遵守していたものでした。
家で宿題をやるときの順番、帰宅してから宿題に取りかかるまでの一連の流れ、こうしたものをちょっと変更してしまうと何となく調子が出ない。だからそこは出来るだけ「いつもどおり」を心がけて、気休めであろうが何だろうが、自分が一番学習しやすい流れを組み立ててやるのです。
ですから案外子供は子供なりにプロフェッショナルなことをやっているわけなのです。ゆめゆめ「まじない」などと揶揄するなかれ。そのまじないの験たるや、素晴らしい推進力で空を裂いていくラグビーボールの軌道にあらわれていたというもの。
子供がルーティーンに入ったら、とりあえず「おっ、今日も始まったな」と静かに見守ってやるに限りますね。