かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

教育雑記帳(23) 点と点

 私塾をはじめたばかりの頃は、けっこうニガイ経験をしたものです。

 その子は中学の二年生でやってきたのですが、別に公文をしていたわけでもなければ、これといって勉強が出来ないわけでもない、という生徒でありました。

 テストの成績を上げて、それなりの高校へ進学したい、との要望ではありましたが、いざふたを開けてみると所々ですが基礎が覚束ないところがまず以て気にかかりました。

 しかし、本人たっての要望もあって、仕方なく方程式の応用であったり、所謂テストに出そうなところを集中的にレクチャーすることになったのですが、一月ほど経ったある日、私はたいへんなことに気づいたのです。

 それは、復習のつもりで解かせてみた既習箇所の同じパターンの問題が、全く解けなかったばかりか、それがあたかも初めて出会う問題であるかのような反応をされたのでした。テストの点数は少しばかり上がりはしたものの、これでは何のために学習をしているのだか分かったものではありません。

 それはつまるところ、その生徒の学習理解は「点」でしかないのだ、と分かった瞬間でもありました。一を聞いて十を知れ、とは言わないけれど、私は一つの例題をきちんと理解することを通して、せめて三つや四つの類題も解けるような、大本の「仕組み」を掴んでほしいという意図でやっているわけです。

 にも拘わらず、理解が「点」にとどまるとは、それがその場限りの限定的な知識であり、他の理解と結びつくものになり得ないことを指しています。

 例えば、座標から二点間の距離を求める公式を学習して、それが使えるようになっても、三平方の定理で斜辺を求めるのはまた別の問題であるかのように理解してしまうようなのが、その一例でありましょう。もっとヒドいのを挙げれば、比例と一次関数の理解が全然別個という事態にも遭遇したことがあります。

 言うなれば、全然繋がっていないのです。

 「これはこれ」「それはそれ」それぞれの理解がこのような「点」に留まっているうち、それは忘却とのイタチごっこに過ぎないムダな営みにしかなり得ません。「点」で覚えた知識は必ず忘れます。私たちがその個々の計算や解法を思い出したり、以前学習した知識を応用出来るのは、それらの知識の一つひとつの「点」が「線」で結ばれているからに他なりません。

 結局のところこの生徒は、全然成績が上がらないから、という理由でわずか三ヶ月ほどでどこかへ移ってしまいました。なにせその子の問題が発覚した瞬間から、私は忌まわしきテストの点取り虫学習を一切取りやめて、基礎叩きに専念するところとなったわけですから、まあムリもない話で。

 だから私は商売に向かないと言われるわけですが、その一人の生徒の将来を思えば、「点」の取り方だけ仕込んで、それを深い理解へと導かない指導なんぞは百害あって一利もないペテンに過ぎないのです。

 どうにも世の中には、すぐ効くクスリばかり求めたがる人と、それにたかる「点」取り主義者ばかりがあってやりきれません。だから最後に、こう申し上げておきましょう。

 ウチに来ても直ぐに成績は上がりませんから、どうか悪しからず。

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