デパートにおける「何かお探しですか?」的な接客がどうにも苦手な私。
だからお客さんが樹を見ている間は、さて自分の展示の前で立ち止まってくれるかしら、と横目でお客さんの流れを確認しつつ、自分の作業をするというのが近頃の定番です。
別に派手な改作をするわけでもなく、日々の手入れの延長を、会場の片隅でやるまでのこと。中にはそれに興味を示して、「私も体験してみてイイですか?」なんて言ってくださるお客さんも出てきました。
ワークショップと名の付くことには、一生疎いものだと思ってきた私が、こんなところで「なんちゃってワークショップ」を開催しているのだから、人生何が起きるか分からないものです(笑)。
その日もそんな風に「盆栽への誘い感」を漂わせつつ、展示を鑑賞するお客さんたちの様子を作業越しに眺めていると、何やら面白げなおじさんコンビの軽妙な掛け合いが聞こえてくるではありませんか。
年の頃は五十代。背格好も顔立ちも、どこから見たってご兄弟と分かるお二人。ネイティブなズーズー弁によるハイスピードな掛け合いは、華麗にまくし立てるイタリア喜劇の弁舌を彷彿とさせるものであります。
「あらっ! こいづは、これぇ!」「あれや! ただもんでねぇっちゃあー!」「えれごったなやぁ。」「んだ、えれぇごった。」
何をそんなに感心してらっしゃるのか、そおっと目をやると、お二人は何と私の棚の前で感嘆符「!」を連発しておられるではありませんか!
あな、うれしや。
と、作業もそっちのけ、作業をしているフリなんかしながらお二人の品評に耳をすましていると、今度は私の頭の中が疑問符「?」で埋め尽くされていく・・・。
「こいなの、一発だどわ。」「んだべなぁ、一発でオワリだべなぁ。」
え、私の樹、何かオワッテルのかしら?
「だぁれ、今はまだ涼しいげっともさぁ」「んだよな、夏なんて一回で済まねっちゃねや。」
夏、一回でなくて二度も、何が来るというのか。時を経て少年の日の私を眠れなくした恐怖の大王でもやってくるというのだろうか?
「こんな、ちゃっこい樹ぃ、すぐにヤラレルわ。」「んだべ、んだべ。」「あいな、大っきな鉢だらばまだいいげっとも、こんなちゃっこいの、すぐに乾ぐに決まってっちゃ。」「んだ、んだ。」「ッつう、事はさぁ・・・」
ッつう事はどうだと言うのでせうか?
「ッつう事は、やっぱり」「やっぱりヒマなんだべなぁ!」「んだ、ヒマジンでねぇど、こいなごどやってらんねんだ。こいなごどは!」「すごいっちゃなやぁ、さぞかしヒマなんだべなぁ。」
と、つくづく感心していらっしゃるけれど、私の複雑な心境たるや、剪っちゃいけない芽まで余計に鋏んだ手許によく表れている始末で。
ヒマジンと呼ばれても、別に年中ヒマしているわけじゃあ、ないのです。でないと盆栽愛好家は小品大品、専門問わずみんなヒマジンになってしまうわけで。
愛好家は多かれ少なかれ、樹と一緒にヒマもまた苦心して作っているのではないでしょうか。盆栽を軸に時間が回り始めると、それに合わせて人間も樹に合わせ、鉢の中の土に合わせて息をしはじめるような気がします。
ヒマジン結構! 盆栽人のバイオリズムは、百年千年を生きる樹に倣っておるのですから。
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