どんなことがあっても、週の決められた曜日には教室にやってくる、という子がある。
家も教室もぐッちゃぐちゃになるくらいに揺れた大地震の数日後、公文バックを提げてひょっこりあらわれた少年もあった。
何もなくてヒマだから来たのだ、と言う。とりもあえず教室はプリントが棚からぶっとんで足の踏み場もないくらいだから、今日の所はコレをあげるからお家でやっていなさい、と帰したけれど、やっぱりこんな時ほどコンスタントな習慣を人間は希求するものなのだと思わされる。
寝る前に歯を磨かねば落ち着かない、という感じなのだろう。このごろはこの辺もそんなに揺れてはいないけれど、何かの学校行事とかぶった教室日など、同級が親御さんを通して「今日は休みます」と申し入れてくる中に、やはり一人だけ何も言ってこないのがある。
合宿、そして天下の修学旅行。その最終日と教室日がかぶっていたら、大概の生徒は「すみませんが今日は・・・」となるところを、彼は「ああ、多分、来ます。」「ダイジョブかい? 疲れてるのじゃないかい?」「うん、まぁ・・・でも、結構、高確率で来ると思います。」とくる。
念のため、ホントに大丈夫なのか、もう一度問うてみると「あ、でも・・・」「・・・でも?」と固唾を呑んで次の句を待つ。すると彼。
「帰りのカバンが重いだろうから、いっかい家に帰ってから来ると思うので、少し遅れるかもです。」と事も無げに述べるから、ついと「そこかよ!」のツッコミが寸でのところで喉から漏れそうになる。
いやいや、そういう問題じゃないのだけれど、まぁそれで彼の気が済むのなら、来るに越したことはないのである。あいつはきっと来る。雨の日も風の日も、地震があっても旅行の帰りでも。
それだけこの場所が、彼にとっての「お決まり」の場所であるということなのだろう。それは何より喜ばしいことではないか。今度、予告通りあっぱれやってきた日には、ぜひとも「おかえり」と言ってやろう。