実に流暢に英語を読んでいるけれど、試みに訳を聞いてみると、思わぬところでつまづいてドギマギしている。
「carriage」、日本語で謂うところの「馬車」である。
さきほどまでお主は、シンデレラがこの「carriage」にて城へ参内したと英語で喋っておったわけであるが、「carriage」とは如何なる乗り物であるか?
どうにかこうにか思い出して「ば、ば、ばしゃ?」なんて答えたけれど、これはそもそも「ばしゃ」がどんなものであるか、ふわふわしているフシがある。
では「馬車」とはどんなものであるか?
「うーん、テレビだと見たことはあるけどね。」と眼をそらしながら言うけれど、まだ私の質問の応えにはなっていない。そしてあろうことか、返答をはぐらかしたまま次の音読へシレッと進もうとしているから、手綱を引いていったん停車させる。
「ばしゃってさぁ、なんかさぁ・・・」ナウ、ローディング。いま彼は頭の中に残像として残っている馬車と思しきものを呼び出し、その様子を何とか言葉にしようと必死こいているのだ。
そしてやっと「なんか前にさ、うまがさ・・・馬がいてさぁ」と、馬車のアイデンティティたる要素が出てきたから、あと一歩である。「ふむふむ、それで?」を繰り返しながら、さらに彼のアウトプットを促していると、今度は何やら身振りを交えだしたではないか。
「こうやってさぁ、乗ってる人がさぁ、エイエイエイ! ピシピシピシってやっててさぁ。」なるほど、彼の今の動作は馬にくれる鞭であったか。それにしても彼の「エイエイ、ピシピシ」が可愛かったので、及第点とすることにしたのである。
こんな感じで、子供達は時折私の「情報開示請求」にさらされているわけである。イメージというものは、やはり形にしてみないとしっくり来ないものである。
頭の中にイメージとして持っているだけでは、分かった気でいて分かっていないことがほとんどなのだ。だから私は今日も、「言葉の指さし確認」を気まぐれにやってみるのである。