三、自利から他利への成長譚?
前回はくまさぶろうの〈異人〉的な特質に触れながら、その「どろぼう」スキルが人の心を盗むまでに特化される過程を読んで参りました。
「やどなし」になったくまさぶろうは、その新たなスキルを頼りに、レストランで食事をするご婦人の「まんぷくしたきもち」を皮切りに、「りっちゃん」の「いたいきもち」や、いじめられる「たっちゃんの なさけないきもち」を盗みはじめます。
まず注目すべきは、この過程において、転んでたんこぶをつくった「りっちゃん」の痛みや、「たっちゃん」の心の痛みを自分の痛みとして引き受けている点でありましょう。
思い出してみてください。前半部であれだけ節操なくやたらめったら人の物を奪っていたくまさぶろうは、何かものを盗られて困る人の心の痛みに対して、およそ無関心であったわけです。(まぁ、そんなことに一々心を痛めていたら「どろぼう」なんて仕事は出来ないわけですが・・・)
(引用)
くまさぶろうは、たっちゃんがよろこぶのを みると、かなしいきもちが うれしさにかわってくるのでした。
そして何と彼は、こうした人の痛みを引き受けることを通して、そこに喜びを見いだすようになるのです。自分の利益だけで行動していた人間が、他を利することに目覚めたことは、ひとつの成長として解釈することが出来ます。
そうすると、この「くまさぶろう」というテクストは、彼の自利から他利への〈成長物語 ビルドゥングス・ロマン〉として一つの解釈が与えられるわけです。
しかし、と私はあえて申しましょう。人の心が盗めるようになった、というだけでそれは本当に「じょうずなどろぼう」なのでしょうか? (次回へ続く)