かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

教育雑記帳(27) 「なんで」はなんで?

 教育の現場において絶対無用の言い回しだと、私が常々思っている言葉があります。

 「なんでそう書くの?」「なんでそんな風にするの?」「なんでやらないの!」

 私にはこんな言い回しをする教育者の気が知れません。寧ろそんな言葉を何の反省もなく吐いていられる人間が、そのような仕事に就いていること自体に計り知れない嫌悪を禁じえないのです。

 例えば「なんでそんなことを書くの?」という言い回しは「そんなこと書いてはいけないはずだよね。」という強めの否定形を背後に隠し持っており、これは純粋な意味での「Why?」ではありません。

 つまり「なんで○○するんだ?」という問いかけは、寧ろ問いかけではなくて相手を「なじる」ための表現だと言った方がよいのです。そんな指導(?)で子供は何か得るところがあるのでしょうか?

 何せなじられる方の子供は、いまだその操作に不得手であるためにミスをしているにも拘わらず、そのミスを発見したオトナが「なんで?」でもって声高にストップをかける様は「暴力」以外の何ものでもありません。

 こうした「なんでハラスメント」を防止するためとは言え、そんな指導をしている人間に「なんでそんな指導をするのだ。」と言っても、これでは暴力に暴力で対抗するようなもので、その根本的解決になりはしません。

 大事なのは簡潔さなのです。

 子供の手許をこまめに観察して、あ、ミスってるな、と思ったらまず簡潔に間違いを指摘してやる。それでもピンと来ないようなら、オトナがやって見せて手本を示し、出来たらちゃんと褒めてやる。理屈を覚えるのは、そうしてスラスラ出来るようになってからでよいのです。

 こうした指導に「なんで」が入る余地はありません。世の「なんでなんで」指導者は一度、山本五十六さんの教育訓を読んで出直すに限ります。
 
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