○直幹
真っ直ぐに、ひたすら真っ直ぐ空をさして伸び上がるその幹に、曲(きょく)なんて小細工は無用である。
え? 幼稚園児の描いた樹にそっくり? カンタンにつくれそう?
確かに、言われてみればその通りであるけれど、実のところ「曲の入った樹」よりも「曲がりのない樹」をつくる方がずっと骨が折れる。人間世界を見回したって、どちらがレアであるかは一目瞭然である。
○吹き流し
そこにはいつも風が吹いている。のべつ吹いている。飽きもせずに吹いているものだから、枝々がみんな風に靡いてしまって、そんなフォルムになっている。
それは山巓に生うるが故の宿命であろうが、愛好家という物好きは、それをわざわざ自分の鉢で再現しようとする。
彼らの棚場で、展示会の一席でふと風を感じたら、ぜひともその一樹に問うて見るといい。
「ナニしてるって、見りゃわかるでしょう、ごらんの通り風に吹かれてるんですよ!」
○文人
明治、大正期の文人墨客に愛されたのがこれ。ひょろりひょろりと立ち上がる先に落ち枝があって、とぼけたような樹冠部がある。そしてそのまた先にお月さんが引っかかっていたら百点の風情である。
山水の世界からそのまんま拝借してきた樹形であるから、もちろんこんな樹は自然界に存在しない。
不自然さしかないのだけれど、何だか無性にゆかしい。それはもしかすると、古来より山水がわれわれの心に映ずるユートピアを描き出してきたことに因るものなのかも知れない。