ちょっと前のCMで「くもん行くもん♪」というのがありましたが、あれは「やってて良かった」に次ぐ良作でありました。
江戸の大昔ですと「○○の通いはじめは傘と下駄」というキャッチーなフレーズがあったわけですが、「公文式、通いはじめは親と子と」一緒に手などつないでやってくるのは、実に微笑ましい光景です。
それでもいい加減大きくなると、流石に親を引っ張って来る子供も珍しいもので「ひとりで行くもん!」という塩梅になるわけでありまして。
「ちょっとあんだ、なにに乗って公文に行くの!」「ボクは今日これで行くって決めたんだおん。」「何を馬鹿な事言ってんの!」
と玄関先で揉める親子。強情を張っている息子が手をかけているのは、昨日買ってもらった「ホッピング」。
公文バックをぶら下げて、いざビヨンビヨン教室へ向けて出発しようとした矢先に止められたものだから面白くありません。
「そんなので行ったって、大変だから止めらいん!」「だいじょぶだ、教室の外に立てかけて駐めるから」「そういう問題でねぇでば!」
自転車でツイーっと自分で公文に通えるようになった感動が薄れて来た頃、ふとした拍子に「これなら!」と閃いたのが事の発端でありました。
チャリで公文に通う同級は数あれど、いまだかつてホッピングでビヨンビヨンして通う奴の話は聞いたことがない。そこで自分がホッピング通室の先駆けになって、〈ホッピング使いの〉なんて二つ名を貰ったりしたら、なかなかどうしてイカすのじゃないかしら、こんなハッピーな動機こそが時に子供を素敵に面白い行動に駆り立てるのです。
制止を振り切って出発したは良いものの、ビヨンビヨンしてても全然前に進まないのなんの・・・。カバンの中で筆箱はぐっちゃぐちゃになるし、結局ホッピング通室は、開始一〇メートルで頓挫したのでした。
生徒諸君「ひとりで行くもん」は良いけれど、ひとつだけ忠告しておきましょう。ホッピングで公文に通うのは止したほうがいい。