騒々しい教室、「やかましい!」と注意すべき対象は、子供ではなくて寧ろオトナの方なのではないでしょうか。
教育が行われる場において、オトナが声を張らねばならぬのは授業の時だけでいい、と私は常々思っています。
哀しいことに私の身近にも、やたらめったらデカい声を公文教室の隅々にまで響かせているエセ教育者がありますが、ご存知のように公文式は「授業」ではありません。
それぞれの子が、まるで違うことをやっているわけですから、アドバイスや声がけは完全に一対一。ひとりの悩める子の耳に入りさえすればよいのだけれど、それがどうして離れたところに陣取る私の耳にまで飛び込んでくるのか、たいへん不思議に思うわけです。
「さっきと同じ答えなのに」「この間も同じところ間違ったよ!」「よく読まなきゃいけません!」なんて叱咤を、教室中に発表される子供の気分を考えたことがあるのでしょうか。もしかすると、それがその子に対する軽い懲罰のつもりでやっているのであれば、なおさら罪業が深い・・・。
私は排除主義者ではありませんが、こうした人々が教育に携わるのは断固として許すことが出来ません。教育とは一歩間違えば毒であり、二歩間違えれば国を滅ぼすということを、われわれ日本人はよく知っているはずです。
そんなキケンブツを取り扱う人間は、よくよく専門的な学問を修め、「教育」というものについて一歩ひいた立場で考えられる人間でなければならなりません。ですから、教育だけを学んできた人間というものを、私はどうにも信用できないのです。
公教育でも、民間の教育機関であってもそれは同じことでありますが、どちらにも一定数、疑わしき教育者があることは嘆かわしいばかりです。