かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

蝸牛随筆(1) 子供はお好き?

 「こんな仕事してるんだから、さぞかし子供が好きなんでしょう?」という質問を受けることもしばしば。

 ちょっと質問がざっくりし過ぎていて、どう返答してよいものか、私がうんうん首を傾げていると先方は既にして「やっぱりそうなのね。」という顔をしているから、そのまま放っておくことにしている。

 子供が好きか、別に嫌いではないけれど、とりたてて好きなわけではない。よく世間では親戚の子供は可愛いし早々と成長してしまうと言うけれど、それはきっと真である。

 親戚の子供が可愛いのは、見ているこっちに何一つ責任が発生しないためであり、手放しでこれを愛でることが出来るからに外ならない。盆と正月に顔を見て「いやぁ、大きくなったねぇ」なんて感慨一入なのは、やっぱり無責任であればこそ。

 しかし、横に張り付いて日ごと夜ごとに一喜一憂しながら子供を育てるとなるとそうは行かない。ましてや「お月謝」を頂戴してその子の教育に加担するとあっては、可愛いとか好きとか、そんなこと言っている余裕がないのである。だから、好きでもないし嫌いでもないのだ。

 もちろん私の心も木石ではないし、人情味がちらりと兆すこともある。兆しすぎて一緒に働く家内に叱られることもあるが、一つだけ確かなのはやはり、ちゃんと「人間」になっている子供が好きだということだろう。

 理非も分かたず教室を走り回ったり、誰かに何かしてもらうのをひねもす待っているようなのは、まだまだ「人間」ではない。およそ、そんなのは未だ人のあいだに生きていないのだ。

 人のあいだに生きるということは、言葉を持つことである。そして自分の意思を適確に伝え、なおかつ人の気持ちを慮ることである。そんな子供でないと、いや、そんな人間でないと、とてもじゃないが私は好きになれない。逆に、つーかーで意思疎通が出来るようになった時、私はなんだか貴重な友を得たような気がして、人知れず胸が熱くなることもある。

 となると結局のところ私は、大人よりも子供の方に友が多くあることになり、下手をすると「やっぱり子供がお好きなんでしょうね」とほくそ笑まれるところとなるから、この話はもう止すことにする。